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現代歌人ファイル その116-賀村順治 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

賀村順治 

bokutachi.hatenadiary.jp

冬の樹に揺れて全裸の兄の死は夏も真冬の緑の中へ

 

 解説に

 

 賀村が舞台とするのは「集落」と呼びたくなるような辺境にある、かつて捨てた故郷。そして兄の自殺というテーマが繰り返し語られる。

 

とあります。今度はお兄さんの自殺か…。ううー、立て続けだとしんどいなー。前回の岸上大作も今回も2010年12月の記事ですけど、この時の山田航の心情がむしろ気になります…。しんどくなかったのかなぁ。 

 『現代歌人ファイル』、なんかしばらく学生運動・家族・戦争関係が多くて、岸上大作でそれら全てと自殺がオーバーラップし、そしてまた…。しんどいー。と思いながらもとりあえず順番に読んでいっています、真面目だから(笑)。

 

 解説の続きに、

 

 終戦の年に生まれ、戦争を知らないながらも身の内に濃く戦争を留めていることへの怒り憎しみが繰り返され続ける。それが反戦運動などに向かうのではなく、むしろ故郷への複雑な感情へと転化する。そしてそれはやがてナショナリティへの意識へと届いてゆく。

 

とあります。「故郷への複雑な思い」と書かれていますが、実際に故郷がどこだったのかはプロフィールに書かれていないのでよく分かりません。現在は北海道に住んでいるらしい、と書かれていますね。故郷については「村」という記載があるから、田舎なんだろうということは分かるけど…。と思ってググったら、以下の記述を発見しました。

 

屯田兵の末裔として佐賀県から移住し、新琴似で生まれた賀村順治がアイヌ大自然の北海道の大地に深く拘って、自らが生まれ育った新琴似の地を発見し、祖国(くに)と呼んだ心の在り処、それが<泥の温み>という言葉だったと私は思ったのだ。

kakiten.exblog.jp

 

ということは故郷も北海道なのか。「新琴似」でググると、札幌市内のようで、「集落」ではなさそうですよね。一体何が事実で何が事実でないのかよく分からなくなってきましたが、

 

新琴似とは正しく近代まで泥炭地であり、寒さを防ぐ為泥炭を掘り返し、あちこちに雨水の溜まった穴が池となってあったと、私は賀村氏自身から聞いていた。

 

ともあるので、今イメージされる「札幌市」とは違うのかもしれません。

 

 上述の解説に「ナショナリティの意識」とありましたが、

 

黙深く尖る視線を武器とする見えるか汝にアフリカの眼が

 

などの歌が紹介されます。この「アフリカの眼」というのは黒人を詠っているそうで、黒人に憧れながらもなれない自分、という一連の歌群のようです。ですが、歌の中に「ニグロ」という表現が多発しているので、ちょっと引用するのを躊躇いました。。いや、当時と今の言語感覚が違うというのは重々分かっているのですが、どうしても抵抗ある。解説には

 

なぜ賀村は黒人にこれほどの熱い憧憬を抱いたのか。それは、彼ら黒人には怒るべき正当な理由があったからだと思う。虐げられ続けてきた歴史ゆえに、武器をとって熱く蜂起しうる理由を持てた。賀村にはそれがなかった。戦争で色んなものを失った責任を特定の他者に背負わせることができなかった。

 

と書いてあります。こういうの読んでて、山田航ってすごいよなーって思います。いや、本当にこの人がこう思っていたかどうかは分からんのですが、こういう風に考察できるのってすごいなって。

 この人にとっての「故郷」は「日本」というよりも「捨ててきた集落」という感じがするので、「ナショナリティの意識」であったかどうかは(多分歌集を読まないと)よく分からないのですが、「故郷喪失」ということについて、

・黒人―先祖代々生まれ育った土地であるアフリカーそこを無理矢理追われる

・自分―先祖が開拓のためにやってきた土着ではない集落―自らそこを出奔している

という対比が語られます。

 

俺は帰れ胸の奥処の泥の温みその肉声の端緒の祖国(くに)へ

 

 おそらくこの「祖国」は「日本」ではなくて「村」なのではないだろうか、と思うんですけど、そう考えると「故郷喪失」の原因が「戦争」であったのかどうかがよく分かりません。兄を殺し自分を故郷から追いやったのは、故郷そのものであるはず。黒人への憧れは、怒りの先に、闘って取り戻すべき、戻るべき故郷があるからなのではないかというように感じました。自分には戻るべき場所がなくて、「故郷喪失」に対する闘争は故郷そのものへ、あるいは自分自身へ向かうしかない。それなのに、「俺は帰れ」と実際北海道で暮らしていて、祖国を「泥の温み」とまで言っているわけで、つまりこの人の「闘争」「怒り」はどこへも行けないんですね。そういった嘆きなのかな、って勝手に思いました。

 解説に

 

賀村の叫ぶ帰るべき祖国とは、未開拓の原野。闘争すべき理由をあらかじめ消失したところから、賀村の出奔は始まった。

 

とあります。

 

または逃げて父とならんか夕蜻蛉ひとり息子をやさしみながら

 

 という歌も紹介されますが、どこかで「父」になったのかなぁ。それは分かりませんでした。上に引用した記事は2018年のもので、2018年2月15日に亡くなった、と書かれています。73歳ですね。

 

 

雪 今も俺の血潮の十代の沼地に注ぐ砕けぬままに (yuifall)