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ぼくの短歌ノート-「今と永遠の通路」 感想

講談社 穂村 弘著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

今と永遠の通路

 

 

写実を軸として発展してきた短歌の世界では、一首のなかで、特異点が発生する理由が現実に即したかたちで語られ、今の裂け目から永遠がのぞくプロセスが可視化されることが望ましいとされてきた。

 

と解説にはあり、こういう作品って多分解説されないと理解できないな、と思いました。

 

夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝を垂る (佐藤佐太郎)

 

が例として挙げられていて、以下解説の引用ですが、

 

 写実の名作である。「夕光のなかにまぶしく花みちて」という状況説明のなかに、眼前の今が特異点になる予兆がある。そしてポイントは「しだれ桜は輝を垂る」。実際に垂れているのは「しだれ桜」だが、それを「輝を垂る」と表現することによって、今から永遠への回路が開かれている。しかも、永遠のまぶしさは、あくまでも「夕光」のなかの「しだれ桜」として現実的に説明されうる。

 

 引用終わり。あー、私にはこの読み方はできないな、と思いながら解説を読みました。「今と永遠の通路」かぁ…。そんな風に作品を鑑賞したことがなかったです。いいこと聞いたなーと思いました(笑)。歌の中に特異点を探しながら読むといいんですね。しかも、「写実の作品」かぁ…。ああ、すごい勉強になった。この章本当勉強になります。

 

さりげなくさしだされているレストランのグラスが変に美しい朝 (早坂類

 

の方が、ぱっと見理解しやすいもんなー。ふとした瞬間に、「あれ、なんかいつもと違う」ってなる感じだよね。解説ではそれを認めつつも、(一部、引用の繰り返しになりますが)

 

「変に」といった理由のない唐突さがNGなのだ。写実を軸として発展してきた短歌の世界では、一首のなかで、特異点が発生する理由が現実に即したかたちで語られ、今の裂け目から永遠がのぞくプロセスが可視化されることが望ましいとされてきた。

 

とあって、言葉で「変に」とか「びっくりするくらい」とか「唐突に」とか心情を書かないで、今が特異点として永遠に繋がることを写実で描くのが名作であると。

 

 この項目は本当、勉強になったなぁ。短歌の読み方って面白いなー。穂村先生ありがとうございます(笑)。

 習作として全く同じ構図の短歌を作ってみました。

 

 

落日に人手は鈍くかがやきて埠頭に満つる誰そ彼がくる (yuifall)

センサーを内蔵したね まなざしにこじ開けられてぼくはきんいろ (yuifall)