山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
潮騒は夜の空気に近くひびく話を止めてのろき汽車の中
春草にもゆる空地をよこぎりて柱時計鳴る家に帰れり
この人の歌、こういう故郷を詠った歌、すごいぐっときます。前回故郷への複雑な思いについて散々考えたのですが、この人の歌読んでると胸がふわっとします…。この人にとって故郷って、もう戻れない場所なのかもしれないけど、あったかいところだったんだろうなぁって。
私には(生まれ育った土地ではないのですが)もう二度と帰れない故郷と呼べる場所があり、鈍行のローカル電車に乗って行ったりしたこともあって、海の近くで柱時計のある家で、夜抜け出してうろついて潮騒を聞いたりしていた思い出があるので、なんだか泣きたくなってしまいました。思い出が美しければ美しいほど切ないけど、思いだしたくもない場所じゃなくてよかった、っていう、私の人生にとってよかったという思いもあって…。
繭虫を飼ひたるころの君を思ふいつを思ひても及び難きかな
この歌の「君」は子供なのかなぁ。「繭虫を飼ひたるころの君」という言い方からは「幼かった君」って感じがして、恋の歌というよりは自分の子供(もしかしたら自分自身の子供時代?)という気がします。「いつ思ひても及び難き」っていうのも、どの瞬間も限りなく愛していて、どうしようもないみたいな気がする。思いが及ばないほどの気持ちがあるんだ、というか。
この人はいすゞ自動車に勤務し重役まで上り詰めたそうで、「高度成長期に自動車産業に生きた」と解説にあります。
おのづから時に仕事に争へどすでにまとまりし組織の中にゐぬ
こんな歌もあり、「抑制」がテーマであると解説されています。
ただひたすら見つめ、考え、怒りや喜びを感じ、ときに懐かしい過去の思い出に心を馳せる。徹底的に身体に激情が走ることを食い止めている。これはおそらく自らの精神の独立性をあくまで信じ抜いているのだと思う。感情を身体をもって表現しないというのは現代ではもう歓迎されなくなっているかもしれない。しかしあくまで精神と身体を切り分けることが、戦中戦後を生き抜いた実直で典型的な企業人の美徳だったのだろう。
と。もしかしてこういう人が身内だったら厳しい父親、祖父だったのかもしれないのですが、歌を読んでいると、こういう人好きだなって気がします。ストイックに感情を抑え、仕事に生きながら、心の底で故郷や家族や日常をふんわりと慈しんでいて、それを歌でしか表現しない、というイメージです。
幾年か使ひなれたる耳掻の折れしを一日かなしみにけり
のような日常詠を読んでると、すごい素直な気持ちになって好きだなって思います。
しかし、東京帝国大学法学部卒、と書いていますが、故郷はどこなんだろう?と思ってググったら福井だそうです。だから思い出の故郷なんですね。
ともし火は見えていますかたましいの置き場のような埠頭にいます (yuifall)