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現代歌人ファイル その115-岸上大作 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

岸上大作 

bokutachi.hatenadiary.jp

美しき誤算のひとつわれのみが昂ぶりて逢い重ねしことも

 

 この人はもともと俵万智の『あなたと読む恋の歌百首』でこの歌が紹介されていてそれで知っていました。学生運動と恋に破れて21歳で自殺したということも。

 父は戦死していて、母一人に育てられたようです。この人が亡くなった時、お母さんはまだ存命だったのだろうか。そんなことを思ってしまう。

 

父よりの戦いにしてわが受けしはそれのみ母の内部への旅

 

なんて歌を読むと、母の内心に寄り添うような感じをしつつも、もしかしたら母から託されたものは重たすぎたのかも、という感じもします。それにしても母からしたらやりきれない、と思ってしまうのは、21歳をとうに過ぎた女の感傷に過ぎないのかもしれませんが。

 

 

断絶を知りてしまいしわたくしにもはやしゅったつは告げられている

 

 これはもうYoung The Giantの ”Cough Syrup “ ですね。

 

僕は運命を知ってるべきだったんだ

知っていたらまっすぐに走っていったのに

今はただ、咳止めシロップが効いてくるのを待ってるんだ、効いてくるのを…

 

 解説に

 

 「断絶」とひらがなの「しゅったつ」。これが実はキーワードであるように思う。「断絶」は失恋と思想的敗北による「終わり」であると同時に、終わりをあらかじめ決定づけられた短歌詩形そのものへの思いなのではないか。短歌は自らの人生をロマン化させる。敗北を味わった岸上にとって、人生のロマン化はもはや傲慢でしかなかったのかもしれない。「出立」ではなく「しゅったつ」。ひらがなにすることで意味を解体しなければならなかった旅立ち。後読みになってしまうが、彼の最期を考えるとあまりに示唆的である。

 

とありますけど、これは死を覚悟してから作った歌なんじゃないかなって気がします。実際に死ぬ前に詠んだ歌ではないのかもしれないけど、この先にあるのはもはや死の他にない、っていうのは、決して「後読み」ではなくて、これは自死へ向かっていくしかない運命をストレートに示した歌なのでは。

 

血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする

 

というような「うつくしい」愛、あるいは「美しき誤算」が描かれ、

 

岸上の自殺の理由は失恋だったとされており、「拙さ」「誤算」という言葉が目に付く。思い込みで暴走するばかりの恋愛だったのだろうか。岸上がこの相手の女性に少しでも振り向いてもらえたのか、全く相手にされなかったのかはわからない。しかしこれはエバーグリーンな片恋の歌なのだと思う。岸上にとって恋と革命は、自己承認を求める作業としてほぼ同一の位相にあったのだろう。

 

と解説されています。

 

 前にも書いたのですが、つまり、これは中津昌子の言う、「完璧に愛するためにはあなたも私もいない方がいい」ってことなのかなぁ。「あなたには届かないから美しいんだ(ゲスの極み乙女。『ロマンスがありあまる』)」っていうか。「恋に恋する」ところから抜け出せていない感があるし、「うつくしいまま」にしておきたかったら、やはり成就ではなく死を選ぶしかなかったのではないのだろうか。

 

 昔読んだ何かの本(翻訳ものだった気がするのですが…)で「男が恋で死ぬものか」ってフレーズがあったような気がして定期的にググるのですが全く分かりません。私の妄想でしょうか。でも読んだ時ローティーン以下だったと思しこんなフレーズを妄想する年とも思えず、本当に分からない。映画の台詞の和訳とか名言集まとめとかそういう感じの本だったのかもしれない。

 

 この人を本当に死に駆り立てたものは何だったんだろうって歌を読みながら考えます。私は男じゃないけど若い頃恋で死ななかったし多分これからも恋で死なないし「ひとあやむるこころ」(塚本邦雄)もないです。だから、恋で死ぬ人のことを完全に理解することはできない。一方、革命は多分一生かかっても取り戻せないものだから、恋愛よりも思想的敗北の方がウェイト的に高かったのかもしれない、とも思うんですが。学生運動を知らない私にはこれも本当のところは分からない。それにしても思想に殉じるというのは、例えばアイドルの死に引きずられて自殺するのと何が違うのだろうか、とも思うし、やっぱり(若い人の)自死ということを完全には肯定できない自分がいます。

 今までこのコーナーでは学生運動に関わった人の短歌を何人か読みましたが、それが終わった後もそれぞれの人生が続いていて、この人にも何か生きる道はあったのではないだろうか、とどうしても考えてしまう。まあ、人の人生のことを完全に理解することはできないし、生きることが「正解」って決めつけるわけにはいかないのかもしれないのですが。それでもやっぱり、残されたお母さん(多分40代くらい)の気持ちを思うと悲しいな…。

 

 

心臓は掴んだ時だけ動いてた、ないよここには、いのちなんてさ…… (yuifall)