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現代短歌最前線-坂井修一 感想1

北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。

 

yuifall.hatenablog.com

坂井修一

 

あわだちて物質主義(マテリアリズム)の淵にゐしたましひのこといかに記さむ

 

 この本(『現代短歌最前線』)はずっと前から読んでいて、でもその頃はこの人の歌というとやっぱり「タカアシガニ」のやつが強烈に印象に残っていたのですが、こうやって今読んでみると科学者としての目線と歌人としての目線が交差するような歌に心惹かれます。

 「物質主義」というのは「物欲」的な意味合いなのかな。でも私は、「たましひ」は「マテリアリズム」だけでは生きられないと思うんだ。『ぼくの短歌ノート』の感想でも同じようなこと書いたのですが、やっぱり飢えて死にそうな時でも歌を歌うのが人間なのかなと思ってます。

 まあ、「たましひ」も「物質」であるという「唯物論」的なマテリアリズムと読めなくもないですね。精神は肉体によってある程度規定されるし、脳も神経組織も全て「物質」であることは事実ですし…。以前にも書きましたが、小池光の

 

壜の中さむき脳(なづき)の彼生きて在りし日いかなる愛に苦しむ

 

という短歌がすごく好きで、多分究極的には脳だけでも生きてはいけるのかもしれないし、脳に与える電気信号だけであらゆる感覚を追体験できるのかもしれないけど、でもやっぱり肉体があってこそ「生きて在りし日愛に苦しむ」のかなって。

 だけどこの歌は「たましひ」=非物質が「物質主義の淵にゐる」んだから、魂が死ぬ瀬戸際みたいな意味合いかもしれないってちょっと思いました。うーん、それにしても「あわだちて」が分からないな。これは(火サスみたいな)崖っぷちの下で波が立つみたいな意味合いでの「泡立つ」かと思っていたのですけど、普通に考えると「粟立つ」なのかもしれないですね。物質主義に殺される恐怖で粟立つ魂なのかも。

 

滅びざる種はあらざれば人心は科学に劣ると思ひし部屋よ

 

 この「人心は科学に劣る」ってどういう意味なんだろうなー。「人心」=倫理は、「科学」を越えられない、ということでしょうが、「科学」によって象徴されるのが「事実」なのか、「技術」なのか「理論」なのかそれとも全く別の何かなのか…。(絶滅危惧種みたいな生き物が、あるいは人間が)滅ぶのを(気持ちで)止めようとしたって無駄だよ、ってことなのか?

 これは、人も滅ぶべき種の一つ、という意味合いかな。もしくは人が動植物の多数の種を滅亡させているということなのかな。それとも「人生は短く学問は長し」的な意味なのかな。あるいは科学技術がいずれ人間の能力を上回るとか。

 私は基本的には科学は希望だと思っています。希望への祈りだと。ただ、もし科学技術が歴史の時間を早めるだけの存在であれば、その先には滅亡しかないのかなって気もします。

 ですけど、「人心は科学に劣る」とは思わないんですよねー。てか、「科学」は「人心」に踊らされる存在に過ぎないと思う。これからAIが人間の知能を凌駕するって言われていて、技術的にはそうかもしれないけど、「知能」にはイデオロギーに依存した技術の方向性も含まれますよね?ベースとなる作り手の意図を超えることなんて可能なんだろうか?過去の天動説vs地動説やダーウィンの進化論を巡る論争が証明しているように、「人心」に合致しない事実は捻じ曲げられるし、実際に男性優位のキリスト教世界では女性生殖器系の構造や機能に関して、男性に都合の悪い事実が300年以上も無視されてきたことも知られています。結局「科学」は「人心」のためにあって、研究によってある一つの結果が導き出されたとしても、個人の宗教や文化、セクシャリティイデオロギーだけじゃなく、どこから研究のためのお金が出るか、といったスポンサーの意向によっても事実の解釈は大きく変わり得ます。ですが、そのことにこの人が無自覚であったとは思えない。だから、私は「人心は科学に劣る」という言葉でこの人が何を言おうとしているんだろう、って考えるんですが、分かりません。

 

コンピューター終(つひ)の徒労と言ふわれは異教徒ならぬ研究室(ラボ)を出できつ

 

 「異教徒」という表現が面白いなと思いました。当事者からすれば面白いでは済まないのかもしれませんが…。「コンピューター教」みたいに盲目的になっている他の研究員の中で、自分だけが「コンピューターなど徒労である」と思っていて、それはまるで「異教徒」のようだと。「研究室」にいるんだから、それはおそらく技術上の対立だったのかもしれないですが、技術が何をもたらすべきか、あるいは何を目的とした技術であるべきか、という点を突き詰めるとそれは思想上の対立となり得るし、宗教上の対立のような相容れなさがあるのかもしれません。ここでも「人心」が「科学」を凌駕しているのではないだろうか?末尾のエッセイを読むと、コンピューターは未だに人間を幸福にしていない、という意味合いでの「徒労」なのかなって思いました。何のためのコンピューターなんだ、という。

 

 この人の歌を読んでいて感じるのは、科学技術の発展に対するアイロニーと使命感です。末尾のエッセイには、

 

科学技術は人を幸福にするか。私のようなものは、これにイエスと答えるために一生をかけなくてはならないのだと思う。

 

と書いています。この人は「科学技術は人を幸福にするためのものだ」って信じている。でも、科学技術は戦争やそれに伴う殺戮と共に発展してきた現実もあり、そのギャップから「人心は科学に劣る」「コンピューター終の徒労」「十九世紀をわが嘲笑す」「大量虐殺せよせよと二十世紀あり」っていう歌が生まれるのかなって。

 

 こういう歌、昔は意識しなかったのですが、今読むと(分からないのに)胸に響きます。また時間たってから読んだら分かるようになる日が来るんだろうか。

 トレヴァー・ノートンの『世にも奇妙な人体実験の歴史』とかリディア・ケイン、ネイト・ピーダーセンの『世にも危険な医療の世界史』とか気持ち悪いけど面白くて、でも多分今の「科学」も未来からすると気持ち悪いけど笑える、みたいな感じなんだろうなーって思いました。

 

 

肉は消え声のみ残る脳だけがきみの眠りを妨げられる (yuifall)