書肆侃侃房 出版 東直子・佐藤弓生・千葉聡編著 「短歌タイムカプセル」 感想の注意書きです。
今野寿美
つないでゐたはずの手と言ふ かなしみは悔やむ心のかたちに残る
前後の歌を見ると、もしかしたら子供を歌った歌なのかもしれないと思いました。自分の手の中にいた時間は短かったと。でも、恋の歌とも読めるし、相手は親とも読めますね。相手が分からないのでむしろ共感しやすいのかもしれません。
騎馬戦のわが子の一騎はまだ無事でひたすら逃げる逃げよと思ふ
という歌もあります。これは明確に子供を詠った歌ですね。戦え、じゃなくて逃げろ、っていうところが母の心だなって思ったのですが、でもよく考えたら騎馬戦なんだから、上に乗っている子供には逃げるか戦うかの選択権はないはず。もしかしたら戦争へと雪崩れていく空気みたいなものへのメタファーなのかな。下になってる馬側の子供たちの意思で運命が決まっていくわけなんだから…。
しかし昨今の運動会では騎馬戦なんてやらないんじゃないかしら。騎馬戦も棒倒しも思えば野蛮な競技だったよな…。
夏ゆけばいつさい棄てよ忘れよといきなり花になる曼珠沙華
曼珠沙華は秋の彼岸頃になると突然赤い花を咲かせ、有毒なんですね。だから何となく「ヒガンバナ」って不気味なイメージがあるのか。でも、短歌の世界だと、吉川宏志の
風を浴びきりきり舞いの曼殊沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ
死者たち元気ところかまわず抱擁し時節がらまんじゅ沙華がいっぱい
というのもあります。歌心を掻き立てる存在なのかも。
花になる前に全て捨てて忘れよ、という暗喩を人生と重ねて考えた時に、なんとなくイメージ的には「花になる」=「花盛り」=10代後半~20代の感じですけど、多分そういう意味じゃないんだな、って思いました。「夏ゆけばいつさい棄てよ忘れよ」なんだから、人生の夏を終える頃、多分壮年に差し掛かる頃、今までの全てを捨てて花になれ、という意味なんじゃないかなって。今までの地位とか権力に拘泥せず、来る秋を花として生きろっていうメッセージなのかなって感じました。そう思うと、私の花の時代はまだ来てないんだな。勝手な解釈ですけどちょっと嬉しいですね(笑)。
寂しさは罪と思へり魚ほども神話持たざる手を抜ける風 (yuifall)