「一首鑑賞」の注意書きです。
403.後ろより誰か来て背にやはらかき掌を置くやうな春となりゐつ
(稲葉京子)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで吉野裕之が紹介していました。
とても素敵な表現ですよね。背中をあったかい手で触れられたような気になります。ずっとあんまり春が好きじゃなくて、春ってどうしても3月~4月の人の入れ替わりや環境の変化とイメージが切り離せないし、よかれあしかれ“桜”がまとわりついて来るし、花粉症だし、しかも3~4月って薄着したいのにけっこう寒いのであんまはしゃぐ気になれないからです。5月は急に暑いし。でもこの歌から受ける印象は、個人的には、完全に春というよりも冬の終わりの暖かい日という感じです。同じくらいの気温でも「春の寒さ」と受け止めるのと「冬の暖かさ」と受け止めるのでは後者の方が嬉しい感じがするんだよなー。もちろん「春となりゐつ」なのでもうすでに春になっているのでしょうが、まだあったかい服を着ていて、日が射していて、という冬の終わりくらいの光景を想像しました。
ところで鑑賞文では、
風見鶏しづかに止まれ逡巡ののち深き知恵得たりしやうに
という20代の時の歌と
天に昇りしはなびらわれにこぼれ来るこの祝祭を誰に告げむか
というそれから40年後(60代?)に詠まれたという歌などが引用されています。20代の時点で完成されすぎじゃないですか??ちなみに冒頭の歌は2002年初出のようなので、おそらく60代頃の作と思われます。基本的な感性とか言葉の使い方って年齢で劇的に変わるものではないのかもしれない、生まれ持ったものなのかもと感じさせられましたが、どうなんでしょうね。
ちなみにこのブログはじめてもう5年が過ぎたのですが、短歌に関して特に進歩もないので、趣味として漫然と味わっているだけでは何も変わらないのは確かです。
ところで、後で気付いたのですが、
やがて死が堰き隔てむに忘失の刻あり人は生きて別るる (稲葉京子)
の作者でした。ほんとすごい言語感覚ですね。久しぶりになんかひれ伏したい気持ちになりました。
何度目の引っ越しだろうさよならとはじめましての花いちもんめ (yuifall)