2026年3月18-24日
・有栖川有栖『乱鴉の島』
・エイモス・チュツオーラ(土屋哲訳)『やし酒飲み』
・有栖川有栖『狩人の悪夢』
・長嶋有『猛スピードで母は』
・長嶋有『パラレル』
・雨穴『変な地図』
・氏家幹人『[増補]大江戸死体考 人斬り浅右衛門の時代』
・パウロ・コエーリョ(江口研一訳)『ベロニカは死ぬことにした』
以下コメント・ネタバレあり
・有栖川有栖『乱鴉の島』
これも再読ですがかなり忘れてたな。2006年の作品だそうです。2000年代前半くらいの小説にはホリエモンがモデルっぽいキャラクター時々登場するイメージある。今そんな時代の寵児みたいな人いるんかな。Youtuberとかかな。これは電話もネットも通じない無人島に閉じ込められるという正統派クローズドサークルものです。個人的には生殖医療がらみのミステリはあまり好きじゃないんでこれも途中でクローンが云々って話出てきてちょっと萎え気味ではあったのですが、でも事件そのものはそんな荒唐無稽な話ではなく、クローン云々はまあちょっとした外連味といったところでしょうか。事件にちょっとエモーショナルな味付けがされています。作者がとにかく文学好きなんだろうな!って感じるところがとても好きです。
・エイモス・チュツオーラ(土屋哲訳)『やし酒飲み』
最初に『本なら売るほど』(児島青)で出会ってからここ数か月の間になぜか3回くらい(ネット上の書評などで)出会い、これは読むしかないんじゃ…と思い買いました。こういう小説好きです。意味分かんないんですが、分かんなくていいと思えるので。訳の文体も原文の面白さを活かす工夫がされているそうで、「ですます」調と「である」調が混在した不自然な日本語なんですが読んでいて楽しいです。雰囲気が岩波文庫版の『千夜一夜物語』風…というか、こういう話っておそらく文化を超えた神話的リアルなんだろうなと思います。解説では『古事記』も取り上げられてたけど、蒲松齢の『聊斎志異』など他の文化のマジックレアリスム的文学なども連想させられます。「わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした」という文章から始まり、だいたいそんな文体なのですが、時々「わたしの体の随所から血が出てきた」「まっしぐらにわたしたちの方に驀進してきた」などといった日常的でない語彙がちょくちょく混じってくるのが面白く、途中で「餓えた生物」から逃げ出したくだりで「しかしその時は未明の四時頃で、まだ暗かったため、「餓えた生物」についてここで詳細に描写することができないのが残念である。」と急にダイジェストになって笑った。作中では度々飢餓が描かれ、こういうものも当時あるいは現地(ナイジェリア出身の作家だそうです)のリアルだったのだろうと思います。
それにしても登場する謎の生き物たちがどれも面白いので、ドット絵の昔のゲームみたいなグラフィックでゲームにしてくれたら楽しそうだなーと思いました。チープで一本道で難易度は『8番出口』くらいな感じの。プレイしてみたい。
・有栖川有栖『狩人の悪夢』
これは最初に読んだのいつだったかなぁ…。すっごく好きだった記憶があったのですが、読んだの多分かなり忙しかった時期で詳細を覚えてなくて、今回読み返して自分が何を好きだと思ったのか分かったような気がする。事件そのものも、これぞ本格ミステリ!って感じで面白いです。落雷による倒木のために短時間だけクローズドサークルになっていた集落内で多重殺人事件が起こるが、殺されたのはいずれも部外者(集落外に住む人)だった…という。
好きだったのは、このくらいから(意図的にかは分かりませんが)アリスの役割が単なる「ハズレを引き続けることで火村をアタリ方向に導く助手」じゃなくなっていくのが分かる描写があるからかな。これが今後の『鍵のかかった男』や『捜査線上の夕映え』に繋がっていくのを感じます。火村がロジックで犯人を追い詰める一方、アリスは心理面から犯人に迫るというか。あと今回は「悪夢」がテーマというのもあって、火村の悪夢に対してアリスが向き合おうとしている描写がすごくよかったです。シリーズずっと追ってる読者としては、ラストシーンは本当に涙が出そうなほど美しいと思いました。その後の片桐さん結婚ネタも含めて秀逸。アリスがちょっと惚れっぽい感じするのはワトソン博士のオマージュなのだろうか。
相変わらず2人のやり取りがめちゃめちゃ好き。
「異性の手を握る意味について思いがけず見解が一致した記念に訊くけど、火村先生が最後に大切な女性の手をぎゅっと握ったのはいつや?」
「この前の日曜日さ」
面白くもなさそうに答える。
「お前を侮ってた。……マジか」
この男が抱える秘密は計りがたい。
「ああ。婆ちゃんが台所で転びかけてな」
2人が永遠の34歳でよかったと思えるのこういう場面…。時代が変わって下宿というものが消え去っても、この世界の中では婆ちゃんもずっと元気で生きてて火村先生のそばにいてくれるんですもんね。ここ好きすぎて5回は読み返しました。それにしても有栖川作品って比較的ポリコレに配慮されているイメージがあるのですが、「愛する異性」とわざわざ異性に限局して言及しているのはどういう意図なんでしょうね。逆に同性であっても(異性の時とは違った意図で)手を握ることはあり得るということ?それとも「愛する人」だと子供とかも含まれちゃうから“性愛”を強調したかった?それにしても婆ちゃんオチですが…。
「作家なんだから想像力を駆使したまえ。ここに弓があったとして――」虚空を両手でなぞって、それらしきものを描く。「弦の部分を正面からお前の頸部に当て、そのまま壁にぐいぐいと押しつける。気道がふさがり、お前の脳への酸素の供給は絶たれる」
彼の仕草に合わせて、私は壁に背中をつけた。火村は架空の弓の持ち方を変える。
「あるいは、不意を衝いてお前の背後に回ってから、弦を力いっぱい手許に引き寄せる」
「……そうされると苦しいな」
「または、お前を床に倒して弦を喉に当て、上から体重をかける」
こういうシーンがさぁ…。どきどきするよね。腐女子ですまんが、こういう描写で楽しめるのは我ながらお得である。
「――あの人、お前にとってどうなんや?」
「どうとは?」
「犯人の臭いがするか?」
「だったら困るのか? 悲しい?」
質問のぶつけ合いになったので、いらっときた。
「雑誌の企画で対談をして、家で二泊させてくれた売れっ子の同業者というだけの存在や」
(中略)
「江沢さんも的の一つか?」
「ああ。アリバイを訊いたのは酔狂じゃない。彼女が犯人だったら、お前は――」
「盛大に悲しい」
なぜ犯人を特定するのにわざわざアリスが悲しむかどうかを気にするのか。面白すぎます。
「お前、時々そうなるな。自説の検証に付き合わせるかと思うたら、俺が手伝えそうなことを頼みもせずに自分だけで推理を巡らせたり、何かを調べだしたりする。疑問が生じたり仮説を立てたりするたびに、助手に披露して意見を求めるべきやろう。そうでなかったら俺の存在意義がないで」
准教授は顎を上げたまま視線をこちらへ向ける。学生から意表を衝く質問を投げかけられたかのような目だった。
「ずっとこの調子でうまくやってきたじゃないか。お前が言うとおり、俺の行動には一貫性が欠けているかもしれないけれど、説明しにくいタイミングというのがあるんだ。今、頭にあることを話そうとしたら、何かが閃くのを逃してしまいそうな気がしている。お前はお前で考えながら、しばらく待ってくれ」
予想もしなかった丁寧な言葉が返ってきたので、また笑いそうになった。それから彼の言葉をよく噛み締め、すまなく思う。
「この調子でうまくやってきたんやったな。久しぶりのせいで勘が狂うたかな。お前は頭蓋骨の中にデリケートな推理の妖精を住まわしているみたいやから、これからも好きにやったらええ」
ホームズ&ワトソン的なバディものってどうしてもホームズ役が天才になり、そのためワトソンとのディスコミュニケーションが発生しがちですが、この2人はそういうのがないとこも好き。ディスコミュニケーションによってすれ違いまくった挙句肝心な場面になって「やっぱりお前がいないと…!」となるより、普段から「普通にそこにいてほしいんですけど」という感じなのがよいです。ていうかそれが人間関係の礼儀だよね。
ラストシーンは大好きだけどさすがに引用を差し控えます。アリスが最後まで江沢と2人で「フィールドワーク!」ってやってて火村にその元ネタを教えてあげてないのが面白かったです。「これがフィールドワーク! なんですね。私、今それに参加しているんだ」「そんなに力を入れて言うほどのことではありませんよ」ってだけでさらっと流されたのが何とも言えず好き。
・長嶋有『猛スピードで母は』
すっごい我儘でムカつくこと言ってるのは分かってますが、自分自身は専業主婦の母親がいる家でぬくぬく育ったくせに、「子供の頃母が働いていて寂しかったから私は専業主婦になって子供の面倒を見たい」という台詞がとても苦手です(嫌いではなく苦手。というか、聞いてて辛い)。当たり前ですがそんなこと口に出して言ったりはしませんが。だって当然そんなことはその人の勝手だし、金銭的に叶うならもちろん夢をかなえてほしいと思います。でも自分自身が子供の寂しさに応えられる親にはなれないと分かっているので、勝手にその人の母親の気持ちになって傷ついてしまう。この2つの小説読んでて、もし主人公がそういうタイプの子供だったらこの「洋子さん」や「母」はどうなっていたのだろうと思った。「猛スピードで母は」では、保母の資格を取ったくせに保育園で働けなくなった母が「あの子苦手」「子供ってみんなあんたみたいだと思ってた」と言うシーンがあります。ここで「苦手」と言われているのはきっと普通の「お母さんがいなくて寂しい」感じの子供だったのだろうなと思う。たまたま主人公がそうじゃなかったから2つともいい話になって成り立ってるけど、普通の子だったら寂しさが切々と描写されその寂しさに応えられない女が悪者になるよね。「サイドカーに犬」のいなくなった母親も洋子さんも、「猛スピードで母は」の母親も。
最初「サイドカーに犬」を読み始めたとき、手放しに好きではなかった。きちんとした妻と破天荒な愛人というのはあまりにも陳腐な対比だと思ったし、どこかしら結局「型破りな女」っていう「型」ってあるよなーと感じたからです。あくまで男にとって都合のいい女の枠は出ないコケティッシュさというか。「猛スピードで母は」も、斜に構えた不良がかっこいいみたいな古臭い礼賛に見える側面もある。いずれのストーリーも子供のキャラクターによってなんとなく許されてる感じになってるだけだと。でも、本当は、ステレオタイプな母親になれる女の方が少ないんじゃないか、だから共感するしうらやましいとも思うのではないか、とも感じた。最終的には自分でもどこで気が変わったのかうまく説明できませんがどちらの話も好きです。読んでて、子供って本当に親がいなくて寂しいのだろうかと思ったんですよね。子供のころ自分はとても大切にされていたと思うし、父は自営で母は専業主婦だったから両親がほとんどずっと家にいたけど、それでも思い出すのは一人で本を読んでいる場面だったり、友達の家でゲームをしたり校庭で遊んだりしているシーンです。親がいても、親のいないところで寂しかった。子供なんてそんなものではと思うこともある。親なんかいい加減でもなるようになるのではないか。でもそれは親が常にいるという安心感がベースにあっての感じ方なのかもしれず、自分自身の経験からだけでは結論を出すことはできません。この2つの小説の主人公の子供たちはもし将来子供を持ったらどんな親になるのだろう。(無意識に)寂しかったから子供を大事にするんだろうか。それとも寂しくなかったから子供の寂しさに無神経な親になるのだろうか。子供は寂しがるのだろうか。こういう家族、今なら「虐待」とか言われちゃうよね。きっと。でも子供に完璧な家庭を与えられないなら親にはなるなという風潮は息苦しいし、それが少子化につながっているのではないかと思う。誰も完璧じゃないし満たされないまま生きていくのではないか。たとえ子供であってもそれはやむを得ないのではないか。
・長嶋有『パラレル』
同時並行で『ベロニカは死ぬことにした』読んでたのですが(精神病院が舞台の話)、恋人と別れた後に交際した男性と結婚しその後夫は兵役に取られ、愛する夫のために反戦運動に全力を尽くしたが、それがきっかけになって元々愛していた恋人のために全力を尽くしただろうか?と後悔し、昔の恋人と連絡を取ろうとするなど思い詰めるあまり極端な行動に出てバーンアウトしてしまったといううつ病の女性のエピソードが出てきます。ベクトルは真逆なんだけど、『パラレル』で別れた奥さんがくも膜下出血で倒れているのではないかと思い詰める主人公のシーン読んでてそれを思い出した。主人公はその日元奥さんのために全力を尽くしたということでもう満足しちゃったんだろうなーと。人間関係が行きつくところまで行ってしまったというか、満ち足りて終わりになってしまった瞬間を目撃したという気になりました。
でも基本的には主人公と津田のブロマンス話として読みました。男同士の絆ってこんなもんなんだろうなーって。青がやっぱり好きで、「あなたを羨ましがっていた」「陰と陽だと思ってたんじゃない」という言葉がぐっときます。ずっと主人公の側から語られるから津田が自由人で主人公が保守的に見えるけど、青を通じて津田が語る主人公は破天荒で(「金輪際」のエピソードがとてもよい)、ああ、だから津田と主人公はずっと友達だったんだなと腑に落ちる。津田は自由に見えてあるところで殻を破れない人間で、そこを簡単に乗り越えていく主人公が羨ましかったんだろうなと思う。「俺はパラ(パラレル)でやってるから」というのは、初めて出会った頃からお互いのことではないかと思いました。つまりベースにあるのはずっと津田と主人公の2人の関係で、2人ともパラレル(同時並行)で女性たちと付き合い、彼女たちは居付いたり去ったりするのだ。だからといって津田と主人公は2人きりでいることはできないんだ。なぜならそこには共有する「文化」がないから。それは2人が男同士で性愛の対象ではないとか結婚できないからという意味ではなく、生き方をすり合わせるべき相手じゃないからだと思う。
・雨穴『変な地図』
前回『コズミック 世紀末探偵神話』(清涼院流水)の感想で「ジャンルによって読み方や評価を変えることはある」と書いたけど、これ読んでまたそのこと考えました。この小説は、ラノベジャンルのミステリだと思えばめちゃくちゃ面白く出来がいいと思う。キャラクターやその過去、謎、ボーイミーツガールのストーリー、そして謎解き。すごくすっきりする作りです。本当に、読み終わったあと面白かった!と思いました。でも、一般文芸ジャンルのミステリとして読むと人間のデフォルメ具合がきつい。特にミステリの根幹部分に関わる集落の女たちの行動全体がデフォルメされているので、絶対にそうはならんやろ、そんなトリック絶対に成り立たないやろってなる。
男尊女卑における男性優位―女性劣位の状況に限らず、集団の中に明らかな上下関係がある場合、支配側も被支配側も一枚岩であることはまずありません。支配側の中にもヒエラルキーがあるし、被支配側の中には裏切りが蔓延します。支配者集団が被支配者集団に互いを監視させ密告させるのは常套手段で、それはナチスドイツのユダヤ人狩りや社会主義国家などを描いたノンフィクション、『一九八四年』や『侍女の物語』などのディストピアものノンフィクションによって何度も描写されてきました。男尊女卑集団では、女が団結して一人の女児を守ることはありえない。秘密の部屋で女同士楽しく作業なんてありえません。なぜなら自分を含む女はおしなべてバカで、男の言うことが正しく、自分を守ってくれるのは自分の夫と長男だけだと洗脳されている人が少なくないし(他人の家の女児なんか守ってどうなる?)、普通にスパイがいて売られるよ。だってそうすれば男集団の中で自分は多少いい思いができるし、それだけでなく自分の夫や息子も格が上がり、更にはその逃亡劇に加担してた女のみならずその夫や息子の支配者集団内における権力を弱めることにもなるから。男だって自分の妻子を完璧にコントロールできなければ男集団の中で居場所がなくなるから、妻が一人で夜出かけるのを見逃すなんてありえないでしょう。これは男が横暴で女が意地悪というジェンダー論の話ではなく、支配者-被支配者が存在する集団における人間行動の話だから、個々のシスターフッドや母の愛では覆せません。その後の落盤による集落の男大量死も、いかに虐げられていたからって女全員が一枚岩になって口をつぐむことはあり得ない。小説内には意図的に母-娘の組み合わせしか登場しないけど(母娘山だし)、娘のために母親が鬼になるなら、息子を殺された母親が黙っているはずがないでしょう。男が全員働きに出ていたなら13歳とかそのくらいの少年だって含まれていたのでは?子供が息子しかいない母親だっていたのでは?特に男尊女卑集団の母親にとって最も大切なものは長男だからね。そういう人間心理の機微を描かず解像度を下げて“やさしい世界”に終始し人物描写を平坦化(デフォルメ)するのがラノベのテクニックなのは分かる。しかも作者はフェアなので、作品のリアリティレベルについてはもう本の装丁から作者のペンネームから文体から何を取っても諒解できるようになっています。しかし人物描写の平坦化をキャラクターだけでなく集落全体の描写にまで落とし込み、そのうえそれをミステリの根幹に関わる部分として提示されたとき、正直どう理解していいか苦しみました。
でもまあ、良くも悪くもそんな真面目に読む本じゃないんだと思う。だからラノベだと思って、面白かった!という感想にしときます。
・氏家幹人『[増補]大江戸死体考 人斬り浅右衛門の時代』
江戸時代は死が身近だったことを示す社会学のノンフィクション。試し斬りが職業だったり生き胆(生きている人から取るのか“活きのいい”胆なのかは解釈があるそう)を取って売ったり心中や入水自殺が横行したりとなかなか陰惨ですが面白いです。ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』で、人が増えすぎると飢餓のリスクが高まるから飢饉に先立って自殺したりするなどして集団の人口をコントロールする文明のエピソードが紹介されていましたが、おそらくそういう機構が働いていたのかもなーという気もします。胆嚢を干して売っていたエピソードは知っていたのですが、肝臓が悪いと胆嚢が水っぽいみたいな記載があって興味深かったです。胆石とかどう思われてたんでしょうね。それとも(食生活的に)当時はそんなんそれほどなかったのだろうか。私は時代劇なども詳しくないので人斬り浅右衛門のことはほとんど知らなかったのですが、辞世の句を理解するために俳諧を学んだりなど職業に真摯に向き合う姿が面白かったです。
・パウロ・コエーリョ(江口研一訳)『ベロニカは死ぬことにした』
若く美しいベロニカは退屈のあまり死ぬことにしたのですが、精神病院で目を覚まします。オーバードーズの影響で心筋が壊死し、余命は1週間と知らされるベロニカ。そこで出会ったうつ病のゼドカと多重人格?のエドアード、パニック障害のマリーとの交流を経て、また主治医のイゴール博士の企みもあって生きる気力を取り戻す…という話。しかしこの話はあらすじだけ聞いてもよく分からず、読んでディテールを感じるしかないような気がします。ゼドカがうつ病を発症したくだりやイゴール博士が精神病について思いを巡らせるくだりなど引用したい部分が何カ所かあるのですがどこ抜き出してもしっくりこない気がするのでやめときます。