2025年4月30日-5月6日
・阿部暁子『カフネ』
・塩田武士『朱色の化身』
・塩田武士『雪の香り』
・塩田武士『拳に聞け!』
・ミーガン・ミランダ(出雲さち訳)『ミッシング・ガール』
・アンソロジー『これが最後の仕事になる』
以下コメント・ネタバレあり
・阿部暁子『カフネ』
正直、女二人で美味しい手作り料理食べて泣きながら再生みたいな話は全然心に響かん。本屋大賞受賞作らしいですが、以下長文の毒舌感想なので読みたくない方は避けて下さい。
これさー、主人公が徹頭徹尾暴走しててかなりキモくて、しかしあの赤子誘拐妄想といい小5女子への身勝手な幻滅といい冒頭から炸裂するヒステリックな態度といい敢えてキモキャラとして描いてるんだろうなーと思いきやなんだあのラストは。引いたわ。いきなりパートナーシップとか養子とか…。ガチでキモ。ほんとめんどくせー女だよ。こういう真面目系勘違いの人ってウザいし疲れるんだよな。こんな“努力でなんでもうまくいく”思考の暴走機関車でありながら親に忖度して生きてきた長女が30代後半まで独身だったのも解せない。絶対もっと早く結婚&孫圧力かけられてたはずだし、不断の努力によって20代後半あたりに一度くらい結婚してるだろ。せつなは設定盛り盛りの萌えキャラだし薫子の喋り方は40代と思えないほど年寄り臭いし思い込み激しすぎて全く有能には見えないし(はっきり言って氷河期世代を国家公務員として生き抜いてきた人には見えない。高度経済成長期に20代で結婚して40年くらい専業主婦してきたおばあちゃんみたいに見える)、全体的に人物の書き込みが浅くて脳内で作ったキャラって感じ。展開も無理やりというか、トキさんがせつなの生い立ちやらなんやらのセンシティブな個人情報を薫子にべらべら喋ったり港がいきなり薫子に内面をべらべら打ち明けたり、ご都合すぎん?ってシーンがちょくちょくあってずっと物語に没入できず疲れた。内容もいかにもな “エモ”要素てんこ盛りなんよ。毒親、不妊、離婚、難病、LGBTQ、社会の生きづらさ、貧困、シングルマザー、介護、がんばっちゃうかわいげない女、自殺、ネグレクト…などなど。弱者カードばんばん切られてこれでもかの波状攻撃でお腹いっぱいです。
てかさぁ、人に対する想像力を持ちましょうっていうのは“もしかしたらこの人も「弱者カード」持ってるかもしれない”バトルではないじゃん。薫子は「毒親」「不妊」「離婚」「家族の死」カードで人に当たり散らしてきて、私は配慮されるべき!って思ってたのが、実は春彦は「味覚障害」「ゲイ」カード持ちでせつなは「難病」「不幸な生い立ち」「家族の死(自死含む)」カード持ち、周りを見渡せば他にも属性持ちの人が多かったからもしかしてカード持ちって私だけじゃない?って40代にして初めて気づいたみたいに見えるんですよ。金持ち、高級マンション住まい、新婚の港でさえも「ゲイ」って分かりやすい性的マイノリティ属性があって、“どんな人にも外側からは分からない事情がある”っていう感じにしてますけど、他人に対する想像力を持つというのがそこ止まりではなぁと。そうじゃなくない?あらゆる「弱者カード」持ってない人にもその人の辛さがあるかもしれない、「属性」の有無に関わらず人には事情や弱点がある、ということではないの?しかも薫子は「不妊」属性振りかざして結局最後まで“守る対象ができれば私も救われる”的な思い込みから脱せないままでしたけど、はっきり言ってとことん苦しむまでに至ってないと思うんですよね。例えば職場に自分よりもはるかに若くて美人で子持ちの部下ができて、夫は弁護士でお金に困ってるわけじゃないけど自分のキャリアアップのために幼子抱えて仕事続けてるみたいな、要は外から全く「弱者属性」が見えない人で、でも子どもがしょっちゅう熱出したりして急に休むので自分はフォローしなくてはならない、という立場に立たされた時、「旦那さん弁護士なら働く必要ないじゃない」とか「みんな遅くまで仕事してるのに」とか「本当に熱なの?」とか「子持ち様」とか言わずにフォローできるか、社会人としてこういう人を守れるかって話なんですよ。私もせつなの世話や親の介護があるしお互い様よ、って思えたらいいですけどね。逆にそんな風に思えない人にせつなの保護者感出されるのはマジないなって思うし、薫子がそこまでの精神状態になれているかどうか疑問。この人、せつながしょっちゅう熱出したり倒れたりしたら毎回毎回仕事も親も何もかもぶっちぎって駆け付ける覚悟あんの?“子育て”ってそういうことだけど?薫子が暴走した勘違い母性の対象を幻の赤子からせつなに向けることでこの物語は幕を下ろしましたが、小5女児程度の自我すら受け入れられないのに成人女性の保護者気取りで救われた感出すのってどうなの?
ていうか別に救われたようにも見えないんですよね。こういう薫子タイプの人が救われるには結局はメタ認知しかないと思うんです。自分の辛さを相対化するってことですけど。悲しみや苦しみの真っ只中にいるときはなかなかできないけど、ちょっと距離を置いた時、自分の辛さは唯一無二のものではないと分かるじゃないですか。例えば薫子の親の毒親度なんて5段階でいうとせいぜい3レベルだし、不妊だってそもそも妊活始めた年齢が遅すぎる上に子なし人生を送る人は自分が初めてでも最後でもなく、子持ちにもそれはそれで辛さがあるし自分が特に不幸というわけでもないと認識できて初めて救われるんだと思うんですけど。でも薫子は最後まで「私の親は毒親で私は辛かったけどそれでも親とこういう距離感でやっていくわ」とか「私は子どもを持てず辛かったけど今度はせつなを守って生きていくわ」とか、「私は」「私の」って“主人公=自分”という認識のまま、メタ認知できずに終わった感じがする。特にせつなを養子にどうこうっていうのがほんと読んでてきつくて、「私の」人生には「私が」守るべき「子ども」が必要だからあなたを人生に取り込まなくては!っていうラストに見え、自他境界が怪しいし怖すぎました。この人、妄想子育てもとことん舐めきってるし、人ひとりの人生受け止めるのがどれほどのことか全く分かってなさそうなのに安易に「パートナーシップ」とか言い出すし、ほんと最後までヤバい人としか思えませんでした。
人に勧められて読んだのですが、感想とか言いにくいな…。
・塩田武士『朱色の化身』
宮部みゆき『火車』や、姫野カオルコ『リアル・シンデレラ』みたいな話でした。主人公が追いかけている人物、辻珠緒は60年代生まれ、京大を出て80年代に銀行員として働き、御曹司と結婚して退職するもその後離婚してしまうのですが、40代からゲームクリエイターとして活躍し、一方でゲーム依存症になった友人の息子を助けるなど字面だけでいうとまあ山あり谷ありとはいえエリートの順風満帆な人生に見えます。しかし様々な人の証言によって彼女の生い立ち、生きてきた人生の壮絶さ、不安定な人格が浮き彫りになっていきます。
『カフネ』の後に読んだので、比べて悪いけど、一人の人間を多面的に描くってこういうことだよな、と思いながら読んだ。上に書いた「メタ認知」の話で言うと、珠緒は「自分の生まれ育ちは5段階でいうと1」と正確に認識しながら5にしよう、あるいは5に見せようとして努力を重ね、それでも1の生まれ育ちに付き纏われてきた人に見える。こういう人はメタ認知では救われないし、人生とどう向き合えばよかったのだろうと思わされます。それから、社会的強者に見える人物の背景を思いやるということについても考えました。
珠緒は男女雇用機会均等法成立後~バブル期に銀行で総合職として勤務しています。まるで超勝ち組みたいに見える経歴ですが、塩田武士は丹念な取材で、この時代に女性が働くとはどういうことだったかを描いています。これは一例にすぎませんが、最近Xで、団塊世代の人が氷河期世代に向けて「就職が厳しいのが分かっているなら英検1級でも取っておくべきだった」と発言して炎上しているのを見ました。「氷河期では英検1級だって就職口はなかった」という反論は、実際そうだったのだと思う。でも80年代に女性が銀行で総合職として働こうと思ったら「有名四大卒、英検1級」がないとそもそも就職の応募さえできなかったということをこの小説を読んで初めて知りました。別に当該発言を擁護するわけではないのですが、当時を生き抜いてきた人の感覚だと「英検1級も持たずに就職しようだなんて無理に決まってる」というのはリアルな現実だったのかもしれないとも思った。
また、この小説では、男性に頼って生きざるを得なかった女性たちがどれほど悲惨な人生を強いられたかが描かれています。男女雇用機会均等法が成立した80年代に俵万智『サラダ記念日』がブームになったことについて、都築直子が「こんな古臭い男女観が詠われた歌集がベストセラーになるなんて、日本はまだまだだ」と絶望した、というようなことを書いていました。
それを読んだときは確かにこの時代に読んだらそう感じるのかもしれないと思ったのですが、今から振り返ると俵万智はシングルマザーで男性に頼らず子供を育て歌人としても第一線にい続け、古臭い男女観を逸脱して生きた人だよなと。当時の斎藤美奈子『文壇アイドル論』などでも俵万智はおじさんのアイドル的存在として受け入れられたと書かれていたけど、実際の俵万智はもっとしたたかな実力者だったのではと思った。直接この小説に関連があることじゃないのですが、この小説を読む前と読んだ後で見方が変わって感じたというか。
なんか他にもいろいろ考えたのですが忘れてしまいました。
・塩田武士『雪の香り』
作家買いしたので続けて読む。これはヒロインの人物描写がすごすぎる。超エキセントリックな人物なのですが、小悪魔的な魅力にあふれてて惚れるでしょ…。もう好きになるしかないよ。まあ、なぜヒロインが主人公を好きになったのか、12年の時を経て舞い戻ってきたのかなど全く分かりませんが、ヒロインの魅力だけで読ませる作品でした。男が抱く女への愛が存分に描写されていてときめきます。
・塩田武士『拳に聞け!』
これはけっこう前の作品かな。まだ成人年齢が20歳の頃ですね。『盤上のアルファ』『女神のタクト』『ともにがんばりましょう』的なギャグ路線です。練り物屋を営む健太郎だからあだ名が「ネリケン」とか、サドルのない自転車に乗り続けてるとか、小ネタが面白すぎる。勉や立川が一体何のためにジムにいるのかよく分からない、優美のしていることが意味深に見えてそれほど驚きのオチはない、途中の展開が急すぎ、勇気に全てを委ねすぎなど展開のアラは目につくものの、ノリと勢いでぐいぐい読ませます。塩田武士のギャグ路線小説好きなんだよなー。シリアスも面白いけどさ。
・ミーガン・ミランダ(出雲さち訳)『ミッシング・ガール』
『ゴーン・ガール』と同じ作者かと思ったら全然違う人でした。ミステリというか、サスペンスかな。主人公は都会で働く女性で、素敵な金持ちの婚約者もいて一見順風満帆な人生なのですが、10年前に故郷で起きた親友の失踪事件に囚われ続けています。父親が認知症になり、ケアハウスのお金が払えなくなったことをきっかけに実家を売らなくてはならなくなったと兄から連絡が来て故郷に戻る…という導入から、いきなり時系列が2週間ほど飛びます。しかもそこから始まるわけではなくすでに新たな失踪事件が起きていて、そこから1日ずつ遡る形で何が起きているのかが描写されます。
とても面白いですが、一方で「こういう形で提示するからにはこういうことなんだろうな…」というメタ推理が可能な手法でもあり、諸刃の剣ですね。作者の他の作品も読みたいなーと思いましたが電子書籍サイトにはこれしかなかった。
・アンソロジー『これが最後の仕事になる』
私の読書環境でたった208ページですが24人もの作者による超短編アンソロジーです。全部「これが最後の仕事になる」から始まるどんでん返しストーリーになってます。宮内悠介「疎開」がいいなーって思ってたら次の河村拓哉「教壇にて」は身も蓋もなさ過ぎて笑ったし、須藤古都離「悪魔との契約」も面白オチでした。一穂ミチの「魔法少女ミラクルミルキー」もよかった。ううってなったのが真梨幸子「【従業員が告発!】ペットショップという名の地獄」かな。正統派小説だと三上幸四郎「電子の赤紙」、米澤穂信「時効」も好きです。一つひとつの小説が短いのでテンポよく読めます。