「一首鑑賞」の注意書きです。
327.どこに行けば君に会えるということがない風の昼橋が眩しい
(永田紅)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで中津昌子が紹介していました。
片想いなのかな、と思いました。好きな人が今どこにいて何をしているのか知ることができない立場にいて、昼間、橋を眺めてる。偶然出会えないだろうかという思いと、会えるはずがないという思いがある。君がいないこと、君に会えないことが「ふつう」で、もしかしたら「橋」は私と君を繋いでくれるかもしれない何かとして眩しいのかもしれない。
「君」はもしかしたら近くにはいない人なのかもしれないなぁ、とも思いました。卒業して地元を離れてしまった先輩とか、遠くで就職した友達とか。あるいは「君」にはまだ出会っていないのかもしれない。多分そうじゃなくて現実の人物だとは思うのですが、そういう読み方もできます。恋人同士ではないと思う。もしどんなに遠くにいたとしても、恋人同士だったら「どこに行けば会える」かは分かるだろうから。
まぶしいなぁ、と思います。なんか、若い頃の片想いでしかこんな気持ちにはなれないと思うから。でも私が感じる眩しさと、この主人公が橋を見て感じる眩しさは全然種類が違うんだろうなぁとも思う。それはもう永遠に取り戻せないものを見る眩しさと、自分がまだ持っていないものへの憧れとしての眩しさの違いだろうなと思います。
遠い背をそらとぶひかりのように見たこどものままで恋してたかった (yuifall)