「一首鑑賞」の注意書きです。
317.つるつるに頭を剃っておりますが僧の中身は誰も知らない
(大下一真)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで中津昌子が紹介していました。
なんかねー、これ面白いなって思ったのは、親戚のお葬式に出た時のことを思い出したからです。火葬場と葬儀場を往復する時にお坊さんが袈裟のままわりとごつめのミニバン運転してて、子供たちがそれ見て笑ってたんですよね。お坊さんが車運転してる!って。亡くなった人が90代後半で大往生だったのもあって明るい雰囲気のお葬式で、私も笑ってしまった。なんでお坊さんが車運転してるだけでこんなに面白いと感じるんだろう。多分中身は普通の人なんだろうに。
こういうの、警察官や消防士、救命救急士でもあると思います。コンビニ行って飲み物買うだけで苦情来たりしてね。単に制服を着ているから職務中であるというより、お坊さんと同様、何らかの精神性を求められてるんだろうなと思う(当然私は苦情反対派ですが)。
僧侶っていうのは職業なんだろうか、あるいは生き様というか、その人そのものなんだろうか。そしたら医者とか教師はどうだろう。「つるつるに頭を剃る」ということは、いついかなる時でも自分が僧侶であると認識させることを他人に許す行為でもあります。その点で他の職業と一線を画しているともいえるよね。その上で、「中身は誰も知らない」と一種当たり前のことをこの歌は突き付けてきます。
鑑賞文には
小学校の時、お坊さんでもある先生がいた。いつもニコニコした丸顔の先生は、わたしたちの前ではスーツ姿だったが、放課後は、衣の裾をばたばたさせてスクーターに乗っていた。その姿をふっと思い出したりする。
くだけたうたい方によって、むしろ一般社会の中での、僧という立場にある人の孤独をさまざまに思わせるところがある。
こうありました。つまりその外見によって、誰にとっても「〇〇さん」ではなく「お坊さん」と見なされることの孤独だろうか。
でも、「お坊さんが車運転してる」とか「スクーター乗ってる」って思われるのを楽しんでるんじゃないかな、という気もします。
コス感のある新人のスクラブにどうせだったら眼鏡もどうよ? (yuifall)