「一首鑑賞」の注意書きです。
266.垂直の街に来る朝われらみな誰かうまれむまへの日を生く
(都築直子)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで魚村晋太郎が紹介していました。
垂直の街。最初は何だかよく分からないままさらっと読み流したのですが、よくよく考えると都会のビル街でしょうか。高層ビル街に朝が来て、「皆、誰かが生まれる前の日を生きている」と。そう言われてしまうと、地球温暖化とかヒートアイランド現象とかのことを考えてしまいますね。この街を明日の子供たちに残すのか?と。そういう意図の歌ではないのかもしれませんが。
この歌のことは、『橄欖追放』で東郷雄二も取り上げています。
都築の歌はスカイダイビングという素材の新鮮さのみに寄りかかったものではなく、空間把握の新しさという点においても目を引く。優れた詩や歌は世界の新しい見方を提示するものだ。それを読んだ後では、もう世界は今までのようには見えなくなるというのが究極の理想型である。このことに鑑みても都築の短歌が提示する空間把握は注目に値すると言えるだろう。
『現代歌人ファイル』で山田航も取り上げていましたが、都築直子はスカイダイビングインストラクターだそうです。この「垂直」という感覚はそこから出てくるのかもしれず、「誰かが生まれる前の日を生きている」という時間感覚も、そういう空間的な把握とリンクしているのかもしれないと感じました。空から世界を見渡すまなざしというか。
魚村晋太郎は、
生まれる以前の日、とも読めるが、生まれる前日ととったほうがより面白い、と思う。
明日には生まれようと、母親の胎内にみなぎる命。
びっしりと並んだ命の駒のはしににひとつを加えると、反対側のはしからひとつが落ちる。
そんなわけはないのだが、ひとりの生がひとりの死と背中合わせにあるような、そんな怖さもすこし感じる。
と書いています。確かに、この「生まれる前の日」という言い方からは、「以前」とも「前日」とも取れます。どちらにせよ、この「生まれてくる子どもたち」と「われら」は出会うことはないのではないかと感じさせられるような雰囲気もあり、そこが「怖さ」に繋がっているんだろうなと思います。
読んでいて、サン=テグジュペリのことをふと考えました。パイロットだったサン=テグジュペリも、『星の王子さま』や『夜間飛行』、『人間の大地』などで、生きることについて、生まれて死んでいくことについてを書いています。マーク・ヴァンホーナッカーの『グッド・フライト、グッド・ナイト』もよかったし、俯瞰することでしか見えない景色があるのかもしれないなあと思いました。都築直子の歌も、好きだなあと思います。
今日明日を繋ぐ螺旋の蔓を巻くように次世代シークエンサー (yuifall)