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読書日記 2024年5月22-28日

2024年5月22-28日

ドストエフスキー安岡治子訳)『貧しき人々』

チャック・パラニューク池田真紀子訳)『ファイト・クラブ

スコット・フィッツジェラルド野崎孝訳)『グレート・ギャツビー

・神田佳一、菊池良『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』

・蒲松齢(志村有弘訳)『聊斎志異の怪』

万城目学鴨川ホルモー

カート・ヴォネガット・ジュニア伊藤典夫訳)『猫のゆりかご』

筒井康隆富豪刑事

 

以下コメント・ネタバレあり

ドストエフスキー安岡治子訳)『貧しき人々』

 これは大学時代になぜかロシア文学の講義を取っていてレポートの課題図書だったのですが、他で単位足りたのでいいや…と思い読まなかったのでずっと何となく気になってた本でした。新訳出てたので買ってみた。

 しかしながら、何と言っていいか分からない話でした。解説の方が面白かったです。当時のロシア文学を理解してないと読み切れない内容なんだなぁと…。そういうの全然知らないで読むと単にうだつの上がらない中年男が若い女性に熱を上げてつかず離れずであしらわれてる話にしか読めません。マカールの手紙基本的に長すぎる上にぐだぐだとつまらないことばかり書き連ねてあって退屈だし、ワルワーラの返事は短くてそっけないんだもん…。ワルワーラは最後金持ちのところに嫁に行ってしまい、どっちにしろしんどい人生だなぁ…。

 それにしても、今でもこんなしょぼい感想しか思い浮かばないし、18~19歳だった頃(大学1年という人生で一番世の中を舐めてた頃)では何も書くことなかったのではと思うと、やっぱ文学部入らなくてよかったですね。とてもやっていけないよ。

 

チャック・パラニューク池田真紀子訳)『ファイト・クラブ

 これ、文章めちゃくちゃかっこいいし映像的な手法もかっこいいし文体にめちゃくちゃ心惹かれてたのですが、あとがきで一気に嫌になった。マジで無理です。そもそも本文でも、殴り合いのファイトはともかく食品汚染系の社会的破壊行為はちょっと…と思っていたのですが、あとがきで実在の人物に対する汚物エピソードが実名出して書かれていて本当に心の底から無理になりました。これを書いて出版すること自体がこの人に対する侮辱行為じゃないの?こんなん許されていいわけ?作者も編集者も出版社も許せないレベル。私が遺族だったら訴訟します。絶対。てかどうせ虚言でしょって思ってる。単にこの人を辱めたかっただけでしょ。あーほんとマジむり。なんであんなあとがき載せたんだよ。

 ちなみに『きっとあなたは、あの本が好き。 連想でつながる読書ガイド』(都甲幸治など)のおすすめ本だったのですが、この中でガチのネタバレされてるのでネタバレ状態で読みました。まー、映画とかにもなってて有名なんでネタバレ配慮されてないのは仕方ないですけどね。正直本文よりあとがきの方がヤバすぎてもう何でもいいや。

 

スコット・フィッツジェラルド野崎孝訳)『グレート・ギャツビー

 最初はほんと退屈で、こんな有名作じゃなかったらこの先読めない…と思っていたのですがギャツビーがなぜ主人公に接近してきたのか分かったあたりから面白くなってきました。解説には、

 

 なお、フィッツジェラルド自身が「ギャツビーを貫く観念は、貧乏な青年は金持の女と結婚することができないということの不当さだ」と語っていることから、同じく金持といってもビュキャナン夫妻に代表されるような、幼時からそういう生活を呼吸して育ち、親から譲られた莫大な遺産の上に安住している金持階級に対する嫌悪と軽蔑、それと、彼自身の母方の祖父のような、自らの才覚と努力によって産をなした金持に対する好意と尊敬、この二つの対照的交錯など、この作品に重要な色彩を添えている様々な要素にも言及すべきであるがもはや紙数がつきた。

 

とあり、でも結局成金は上流階級とは結婚できないみたいな話だったよなー。生まれ育ちによって培われた価値観が違いすぎるし、それは後から得たお金では埋められないものなんだよなぁと。ここで描かれている上流階級の人たちは自分と同じ階級の人間以外は人と思ってない感じだし、でもそう振舞うようになったバックグラウンドもあるんだろうし、そういうの自分も金持って豹変しない限り絶対ついていけないし、でももし金持って豹変したら「あいつ勘違いしてる」って馬鹿にされるだけで結局ついてはいけないだろうし、まあー、残念ですが結局結婚はできないかもしれませんね。

 でも逆に金持ちの男は貧乏な女と結婚できるのかっていうと、それはあり得るけど搾取っぽい空気漂うし(上の『貧しき人びと』もそうですが…)、しかも実際は、貧乏な女とは遊ぶけど結婚は上流階級の女とっていうパターンが多いのではと思ったりした(ヒラリー・ウォー『生まれながらの犠牲者』もそんな話だった)。結局生まれついての金持ちが、その他の人間を同じ人間として扱うか否かの問題なのか。

 

・神田佳一、菊池良『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』

 レーモン・クノー『文体練習』の日本版みたいな。内容は極めてくだらないのですがとても面白いです。落合陽一、最果タヒ、magazine rockin’ on、石野卓球が好きです。意外に、週刊プレイボーイとかグラビアポエムとか週刊文春とかそういうしょうもない記事系が面白かったです。しかしながら俵万智のやつはひどいやっつけ仕事でした。あのネタだけ出すならない方がましだろ。パクるならもっとリスペクトを感じさせてください。

 

・蒲松齢(志村有弘訳)『聊斎志異の怪』

 米澤穂信の『世界堂書店』で面白かったので読んでみましたが、これはダイジェスト版みたいなやつです。そしてあんまり読みやすくなかったです。最後の方に『聊斎志異の怪』のエピソードを元ネタにした芥川龍之介太宰治の小説が載っていたのですが、それが一番面白かったです。私は特に太宰治の文体が好きでした。同じ内容を語るでも作家によってやっぱ違いますよね…。上の『カップ焼きそば』なんかまさにそうだけどさ…。

 

万城目学鴨川ホルモー

 最初の「ア・ナ・タ」「なれるヨ!」でいつの時代の本だよと思い奥付見たら平成21年発行の第5版(文庫)でした。2009年。てことは私は買ってから15年も積んでたのか。ちなみに単行本初版発行は2006年ですが、本文にも「すべてが十年古い印象を受けた」とあるので、「ア・ナ・タ」「なれるヨ!」は90年代を彷彿とさせるフレーズのようです。内容は、うだつの上がらない男子京大生が黒髪の乙女(的な人物)に憧れるあまり訳の分からないサークルに入ってしまいそこで出会った変な友人と変な状況に巻き込まれ…という森見登美彦テンプレみたいな感じなのですが、読み終わってからネット上で感想見ても類似点を指摘する声は(あるけど)少ないので、似ているというよりもしかしてこういうジャンルがあるのか?男子京大生ジャンルみたいな。しかし森見登美彦の場合は黒髪の乙女も若干変な人で最後主人公と結ばれることが多いような気がするのに対し、『鴨川ホルモー』では憧れの女子が割と普通の人であるがゆえに主人公はより空回っており、 サスケ←サクラ←ナルト←ヒナタ みたいな人間関係が展開されてます。

 なんやかんや言って私は男子京大生ジャンルの話が好きなのでとても楽しめました。しかし、ふと思い立って読んだだけなのですが、この間までミュージカルやってたみたいで驚きました。全く知らなかった。

 

カート・ヴォネガット・ジュニア伊藤典夫訳)『猫のゆりかご』

 SEKAI NO OWARIな話です。広島原爆の話を書くために「原爆の父」を取材していた主人公がその子供たちを追ううちにカリブ海のある島にたどりつき…という。そこで信じられているボコノン教という宗教や世界中の水を氷に変えてしまう「アイス・ナイン」という物質は現実のパロディのようで、最後はアイス・ナインによって世界はほぼ滅びます。多分核戦争のオマージュなのかなと思った。1章が短くて細切れなので読みやすく、ヴォネガットっぽい文体も好きでした。人類のやることには全然救いなんてないし全部嘘だという思想が全てに貫かれているのに、あっけらかんと明るいんですよね。

 

筒井康隆富豪刑事

 時々読みたくなるんですよねー。こういう荒唐無稽な話好き。あとやっぱ昔とても好きだったからか筒井康隆の文体がしっくりくるというか読みやすいです。急にメタなこと言い出す仕掛けも面白いし。