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読書日記 2024年5月8-14日

2024年5月8-14日

アントニイ・バークリー(藤村裕美訳)『最上階の殺人』

天藤真大誘拐

・シャーウッド・アンダーソン(上岡伸雄訳)『ワインズバーグ、オハイオ

アントニイ・バークリー高橋泰邦訳)『毒入りチョコレート事件』

伊坂幸太郎『サブマリン』

カート・ヴォネガット(飛田茂雄訳)『ヴォネガット、大いに語る』

 

以下コメント・ネタバレあり

アントニイ・バークリー(藤村裕美訳)『最上階の殺人』

 米澤穂信のおすすめ本。確かに笑えます。解説にあるように、探偵小説のタブーをおちょくってます。そもそも犯人を指摘しそこなってるんですが、それについて解説で「多重解決」と書かれていてそうなのか!ってなった。かなりトリッキーですよね。

 メタ的にというか探偵小説的には犯人は超意外な人物なんですが、でも更にメタ推理言わせてもらえば普通に犯人こいつじゃないかなって思ったよね。途中で主人公が秘書と賭けするんですが、キャラ的に秘書が負ける感じしないもん。まあそれも踏まえてのあの推理なんでしょうが。主人公のキャラ設定はとても現代風で、漫画っぽいです。「迷探偵」ってこういうことかぁー。ストーリーも笑えるし訳も面白いです。

 

天藤真大誘拐

 米澤穂信のおすすめ本。めっちゃ面白いですねこれ。今まで全然知りませんでしたが、何度も映画化されてるみたいです。一条ゆかり有閑倶楽部』にも似たようなネタあったような…。『有閑俱楽部』にはラッセル・ブラッドン『ウィンブルドン』のパロディみたいな話もあったので、作者はきっとミステリ好きなんだろうなー。

 

・シャーウッド・アンダーソン(上岡伸雄訳)『ワインズバーグ、オハイオ

 これはもともとgleeにハマってたときにオハイオ州の本かぁーとかいうすごい適当な理由で買って、でも多分読まないだろうな…と思って積んでたのですが(自分でも何で買ったのかよく分からない。オハイオの解像度を上げたかったのかもしれないが、明らかにそういう本ではない)、最近になって『百年の誤読』とか『教養のためのアメリカ短篇小説』とかで取り上げられているのを見て、そんな名作だったんだ?と思って読んでみました。19世紀末くらいのオハイオ州の架空の田舎町を舞台にした短編集なのですが、長さがまちまちで、内容も読みやすいものから全然頭に入ってこないものまで様々でした。ようやく最後の方になってから集中して読めるようになって面白かった。

 一定の狭いコミュニティを舞台にした群像劇の元祖みたいな感じなのかな。「田舎の閉塞感」と語られているのはとても分かりますが、都会が舞台であっても似たようなプロトコルの群像劇は成立する気がします。都会に住んでいても田舎に住んでいてもそれぞれの閉塞感ってあって、もちろん都市では毎日不特定多数の他人と出会う点で田舎とは違うと思いますが、どちらにせよ普通の人が普段親しく関わる人間の数って限られてるだろうし。例えば朝井リョウ『何者』は、都会のある一定の狭いコミュニティに属する「いびつな人々」の群像劇とも読めるし。

 

アントニイ・バークリー高橋泰邦訳)『毒入りチョコレート事件』

 米澤穂信のおすすめ本。元祖?「多重解決」ものです。最終的に犯人が自白したりとかそういうシーンは特にないので最後の解決が本当の真相だったのかは誰にも分かりませんが、幕切れが面白かったです。これ、誰が犯人なのかは全然分かりませんが、誰が探偵なのかはすぐ分かるよね。最初からずーっとおどおどしてた一番モブっぽいチタウィック氏ですよね。主人公のロジャーが噛ませ犬なのが笑えます。でも「チョコレートを送り付ける」という手口に関してはロジャーの解決が一番納得できるようにも思えますけどね。

 1つの事件について6人がそれぞれ真相と犯人を指摘する「解決編」が大半を占める構成の小説なのですが、ガチ目に犯人を指摘しに来てるメンバーが大半なのに対してブラッドレー氏だけ「犯人に当てはまるのはこれこれこういう条件の人物だけど、それってさ、完全に俺だよね笑」みたいなテンションで笑えました。私が個人的に一番好きなのはこの人の解決編ですね。本格モノで稀にある探偵=犯人のパロディなのかもしれん。

 

伊坂幸太郎『サブマリン』

『チルドレン』の続編です。『チルドレン』あんまり印象に残ってなかったのですが、これ読んだらとても読み返したくなりました。そして『チルドレン』の語り手だった鴨居君が『サブマリン』では登場せず、「誰かの命日」っぽい日を悼むシーンがあったりしてなんか不穏だなぁと思ったのですが、死んだと明示されてはいません。ググってみるとみんなあれ?って思ったみたいでけっこうその辺気にしてるレビュー記事が引っかかります。一体どうなったんだ鴨居君。

 陣内さんは相変わらずな傍若無人っぷりで面白いです。特に、酔っぱらって寝ちゃった人が起きた時に「目が覚めたか!お前が昏睡状態になってから5年経ったんだぞ!」とか言ったシーン笑った。この発想すごいなと。

 

カート・ヴォネガット(飛田茂雄訳)『ヴォネガット、大いに語る』

 実際に戦争を経験したSF作家として、科学技術に対する言葉はとても重いなと思います。でもそれを全て冗談にしてしまうその語り口もとてもすごいです。

 以下、引用を交えながら。

 私はビアフラ共和国のことを今まで全然知らなかったので、このくだりは読んでいてショックでした。

 

 ミリアムは一度、わたしの会話にいらだち、軽べつをこめて言った、「口を開くたびに、冗談を言わずにいられないんですね」そのとおりであった。どうにもならない悲惨さに対応するわたしの唯一の手段は、冗談を言うことであった。

(中略)

 わたしはビアフラのことで一度だけ泣いた。帰宅して三日目の午前二時。一分半ばかり、小さくほえるようにグロテスクな声を発したのが、それだ。

(中略)

 わたしの隣人たちは、もう遅いかもしれないけれどもビアフラのためにできることがなにかないか、あるいはもっと前にビアフラのためにすべきであったことはなにか、とたずねる。

 わたしは彼らに答える、「なんにもないよ。それはかつてもいまもナイジェリアの国内問題だった。きみたちはただそれを嘆くことしかできない」

 ある人々は、せめてもの償いとして、これからナイジェリア人を憎むべきだろうかと問う。

 わたしは答える、「そうは思わない」

 

 冗談を言うこと。それがカート・ヴォネガットの語り方なんですよね。

 科学技術とそれがもたらすものについて。

 

 科学的真理はわたしたちをとても幸せで安楽にしてくれるはずでした。

 二十一歳になったとき現実に起こったのは、アメリカがヒロシマに科学的真理を落としたということです。われわれはそこにいた人々みんなを殺しました。そしてわたしは、ドレスデンでの戦時捕虜の生活を終えて帰国したばかりでした。

(中略)

 芸術は人間を宇宙の中心に置きます。それが人間にとって本来ふさわしい場所であろうと、なかろうと。その反面、軍事科学は人間を――そして子供たちを、人間の都市を――生ゴミ扱いしています。軍事科学は、広大な宇宙における人間の卑小さを軽べつしている点では、たぶん正当なのでしょう。でも――でもわたしはその卑小さを否定しますし、みなさんも、芸術尊重の気風を創り出すことによって、それを否定していただきたいと思います。

(中略)
現代の恐るべき欺瞞は、科学が宗教をもはや骨とう品にしてしまったという考えです。科学がこれまで傷つけたのは、アダムとイブの物語、それと鯨に飲みこまれたヨナの物語だけで、他のすべてはほとんど無傷で役に立っています。特に公平さとやさしさに関する教えはそうです。二十世紀においてそういう教訓は無用の長物だと考える人々は、科学を貪欲と冷酷さとの口実に利用しているだけです。

 みなさん、本来の科学はそんなものと無縁のはずです。

 

 繰り返しますが、坂井修一の言葉を思い出します。「科学技術は人を幸福にするか」。

 

大量虐殺せよせよと二十世紀ありフォン・ブラウンありわれら末裔 (坂井修一)

 

 ヴォネガットは、フォン・ブラウンは技術屋であって科学者ではなかったと言います。死刑台さえ作ったのだと。

 若者に対してはこう呼びかけます。

 

もし人々がみなさんに、世界を救う責任は諸君の双肩にかかっていると説得したとするなら、あなたがたもやはりだまされているのです。世界救済はあなたがたの責任ではありません。あなたがたにはそれだけの金も力もありません。重厚な精神的成熟の様相も見えません――ほんとうは重々しく成熟しておられるのかもしれませんが。あなたがたはダイナマイトの扱い方さえ知らない。世界を救うのはもっと年上の人の責任です。年上の人々の手助けをすることなら、みなさんにもできますが。

 

 ヘルマン・ヘッセについての項目の書き出しはこんな言葉から始まっています。

 

 世界じゅうどこの国の若者にも常に受ける物語の骨だけ取り出してみると、こんなものになる。ある男が大いに旅をする。彼はしばしば孤独である。金銭は大した問題ではない。求めているのは精神的な安らぎであり、結婚や退屈な仕事は避けている。彼は両親や、出会う人々の大部分よりも知性がすぐれている。女性は彼に好意を寄せる。貧しい人々も彼に好意を寄せる。賢い老人たちもまた然り。彼はセックスを試し、よいものだとは思うが、夢中にはなれない。彼は精神的な安らぎを見いだすことがほんとうに可能だという、多くの不思議に明るい希望のきざしにぶつかる。世界は美しい。至るところに魔法が働いている。

 こういう物語は新奇さ以外のあらゆるものを含んでいる。

 

 確かに、村上春樹とかもこんな感じかもしれない。

 私が最も好きだったくだりを引用します。

 

わたしの父が人生最良の日にいっしょにいたのは、若い妻だけでした。その日、わたしの両親は一心同体でした。祖父が人生最良の日にいっしょにいたのは、たったひとりの友達でした。ほとんど話もしない相手でした――なにしろ、機関車がものすごい音を立てていたもので。

 

 わたしは自分の死についてかんがえるとき、自分の子孫や作品などが永久に残ることを心の慰めにはしない。ちょっとでも理性のある人ならすべて、やがてこの太陽系全体がセルロイド製のカラーみたいに燃え上がってしまうことを知っている。けれどもわたしは、瞬間が消え去ってしまうとか、二度と見えなくなってしまうという考えはまちがっていると、心から信じる。この瞬間は、そしてあらゆる瞬間は、永遠に存続するのだ。