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読書日記 2024年2月21-27日

読書日記 2024年2月21-27日

アイザック・アシモフ(池央耿訳)『黒後家蜘蛛の会1』

ジェイムズ・エルロイ吉野美恵子訳)『ブラック・ダリア

ジェイムズ・エルロイ(二宮馨訳)『ビッグ・ノーウェア』

ジェイムズ・エルロイ小林宏明訳)『LAコンフィデンシャル

ジェイムズ・エルロイ(佐々田雅子訳)『ホワイト・ジャズ』

 

 

以下コメント・ネタバレあり

アイザック・アシモフ(池央耿訳)『黒後家蜘蛛の会1』

 5分後に意外な結末!みたいな感じのライトミステリです。たまにヘビーなやつも混じってますが…。途中のディスカッションが面白いのですがオチはそんなに大したことないです。短編集だし、軽く読む感じかなと。

 それにしても欧米のカップル文化というか、男だけで集まって食事をするという設定のために膨大な説明が必要なことに逆に戸惑ったよ…。こんなん日本だったら(特に昭和の時代だったら)一言の説明もいらないんじゃ?向こうじゃ奥様同伴が当たり前なんだよね。めんどくさいね。

 マジでさぁ、欧米は日本より個人主義でドライとか嘘だと思うわ。高校からプロムとかで男女のカップルでいないと駄目だし、やたらパーティーあって常にパートナー同伴を強いられ、同調圧力きつくないか。

 

ジェイムズ・エルロイ吉野美恵子訳)『ブラック・ダリア

 暗黒のL.A.四部作の1作目。現実の未解決事件がモデルだそうです。40年代後半の話なので戦争の影響が色濃く、また人種差別や同性愛差別もまかり通ってる世界観で、今のポリコレ基準じゃ考えられないほどの暴言・暴力満載です。ノワール小説として有名だそうなのですが、私はルメートル作品や北欧ミステリを通ってから辿り着いたので描写はそれほど陰惨に感じませんでした。

 ハードボイルドなのかなぁ。ストーリーそのものは面白いんですけど余計な書き込みが多すぎてちょっと疲れました。主人公バッキーと相棒リーのバディものっちゃバディものなんですが、バディ期間短すぎて感情移入できず。面白かったのは主人公のバッキーにとってはブラック・ダリアだけが本物でマデリンはブラック・ダリアのレプリカだったけど、実はブラック・ダリアこそがマデリンのレプリカだったという後半のギミックかな。

 というか全体的に全ての人間関係が嘘、代替品なんですよね。リーとケイ、バッキーの関係も。リーにとってケイは亡くなった妹の代わりで、だから大切にして一緒に暮らしても抱かなかった。ケイにとってバッキーは抱いてくれないリーの代わりで、バッキーにとってケイは多分“リーの女”だったと思う。リーの恋人だと思ってたから惹かれたんだと。だからバッキーとケイの関係はリーあってのものという感じだったし、ハッピーエンド風に終わってるけどこれからどうなるのかなとは思う。リーがいなくなった時点で二人とも持たないんじゃないだろうか。それとも“本物の”子供が産まれることによって、2人の関係はようやく“本物”になるということなんだろうか。

 途中までリーは同性愛者でバッキーのことが好きなのかと思ってたわ。もしかしたらプラトニックにはそうなのかもしれないとも思います。精神的にはリーとバッキーがホモエロティックな関係性で、ケイは女性の肉体を持ってその関係に介在しているだけなのかも。だから今度は子供がバッキーとケイの間のかすがい、いわば“リー”的な存在になって続いていくだけなのかもしれない。

 あとずっと一人称「私」なんですが、ハードボイルドで一人称「私」「僕」はインテリやくざ系のイメージだなぁ。この人完全な脳筋タイプだし、「俺」の方がしっくりくるんだけどどうなんでしょう。

 

ジェイムズ・エルロイ(二宮馨訳)『ビッグ・ノーウェア』

 このシリーズ、とりあえず買ってはみたもののとても読みにくいです。後から気づいたのですが、あまりにも固有名詞が多すぎるからですね。大量の警察官、ギャング、セックスワーカーが登場し、しかもだいたいキャラ被ってます。しかしながらこれはハードボイルド小説ではわりと一般的な現象なので(脳筋とチンピラと娼婦が大量に登場し、インテリやくざが彩りを添えます)、単に私の苦手分野というだけですね、多分。

 今回は殺人事件を追う保安官補ダニーのパートは面白かったのですがかなりかわいそうな理由で途中退場してしまうし、コンシディーンにはあまり興味を抱けないままあっけなくいなくなり、バズはただの小悪党なのに途中でいきなりダニーのためにやる気出してきて何なん?って感情移入し損なうし、相変わらず人種差別や同性愛差別は満載で女はおバカでセクシーな悪女しか出てこないしまあハードボイルドでした。途中で共産主義者とのやり取りというか潜入捜査があるのですが、アカの幹部の女との想定問答みたいなのが「私はあなたより13歳も年上よ…。それでもいいの?」みたいなのばっかで馬鹿かな?と思いました。普通コミュニストの幹部とのやり取りって言ったら思想論争を想定しないか?女だからって舐めてんの?結局思想闘争みたいなやり取りは一切出てこず、アカ狩り出してきた意味???ってなった。当時の冷戦の空気感出したかっただけ? シリーズ4作中、個人的にはこれが一番つまんなかった…。

 

ジェイムズ・エルロイ小林宏明訳)『LAコンフィデンシャル

 また訳者が変わっているのはなぜなのだろう。4作読みましたが全部訳者が違います。そしてこの3作目くらいから文体が徐々にシンプル化していきます。

 主役が3人いて状況が錯綜しながら重なり合う…という前作と似た感じですが、私はこっちの方が断然面白いと思いました。それぞれ持ってる情報がちょっとずつ違っていて、色々な思惑があってお互いそれを隠していたりするのですが、後半徐々にそれが明らかになっていき、そしてお互い嫌いあってた3人が共通の敵を前についに一同に会し情報を共有し合って…ってとこにとてもカタルシスを感じました。私の読書環境で900ページ近くあるんですが最後の150ページで急にめちゃくちゃ面白くなるので耐えて読んで損はないかも。

 1~3作と読んできて、主役級キャラの中に必ず死人が出ることはすでに分かっているので、雰囲気的に主役3人のうちこいつは死ぬな…みたいに感じるやつがいるのですが案の定死にます。でその後はダブルヒーローものみたいな展開になり、オチはダブルヒーローものとしてはある意味典型的なのですが、様式美というかこれが見たかった!って感じでよかったです。

 

ジェイムズ・エルロイ(佐々田雅子訳)『ホワイト・ジャズ』

 前作の主役と黒幕との対決が持ち越された状態で始まるのですが、今回の主人公はその部下です。『LAコンフィデンシャル』ではちょっとナイーブなおぼっちゃんみたいな感じだったエド・エクスリーがバド・ホワイトとの交流?を経て『ホワイト・ジャズ』では底の知れないインテリになっててかっこよかった。バドとまだ交流あるっぽい匂わせにも萌えたし、最終的には何もかも手に入れるけど孤独な存在として描かれるのにとてもぐっときました。

『ビッグ・ノーウェア』から通奏低音のように響いているダドリー・スミスの陰謀がここでついえるんですが、ずっと人種差別、同性愛差別などが語られてきたのも、「これらはホワイト(白人)の悪行である」というメッセージだったのだなと。ラストまで読まないと色々分かんないですね。すっごい読みにくいと思いながらも最後まで読んでよかったなーと思いました。しかしこの新装版の末尾には年表が載ってるんですが、「えっ、そうだったの?」って初めて気づくことも多くて、全然読めてないじゃんと思ったよ…。さらにシリーズあるみたいなんですがもういいや。。

 

 それにしても読みづらいシリーズでした。キャラ多すぎて。読むのにすっごく時間かかったよ。今までの反省をいかしてメモりながら読んだのですが、100人くらいのキャラクターが登場し(1回しか登場しないほぼモブにも名前がある)、しかも同じ人物が違う名前で呼ばれたりするので(ファーストネーム、ファミリーネーム、ミドルネーム、通称、愛称、略称、肩書、偽名など)分かりにくいことこの上なし。今回メモのおかげで内容はかなり理解できたんですが、でもその読み方するとこの人の文体が台無しになるんだよなー。

 この小説、もともと『百年の誤読』で文体が特徴的と言われていたので読もうと思ったんです。確かにかなり特徴的な文体で、主人公の思考がそのまま流れてくるみたいな疾走感なんですが、その疾走感に身を委ねてると内容が全く理解できないんですよ。人が多すぎるから。だから立ち止まって「えーっと、今の“シドニー”はさっき“リーグル”と呼ばれていて、以前“シド・リーグル”として登場した男のことだから、つまり風紀課の刑事のことで、…」みたいに考えないと理解できないので、そんな読み方してると文体に身を委ねるどころじゃないし、これってどうなの。文体と内容の相性がよくないと思うんだけど…。

 キャラクターが多くてその全員に名前があるのはリアリティを追求してるんだと思うし、あとこの文体も主人公の思考の流れとしてリアルなのは分かるんだよね。作中で数年経過してるけど、動きが少ない時間は雑誌や新聞の報道、警察の報告書といった形式で記述し、動きが早い時間は主人公の流れるような思考で…っていう緩急の付け方も分かるし。でも本当のリアルな現実として、何かが起こっている最中にスピード感のある思考ができるのは動きの少ない時間にもその事件のことを考え続けているからだし、主人公は(読者と違って)ほぼ初めて出会う大量の人間の行動を短時間に記憶し伏線回収してるわけじゃないじゃん。作中人物と自分の時間のずれを顕著に感じるんだよな。多分この小説を味わおうと思ったら、少なくとも5回くらいは読みこんで内容を完璧に覚えてから満を持して流し読みすべきですね。

 

 ラストがとてもよかったです。主人公の愛する女は最後60代になっているので、主人公はどんなに若く見積もっても70代後半なのですが、こう結ばれています。

 

 おれはグレンダを見つけて、こういうつもりだ。

 何か教えてくれ。

 すべて教えてくれ。

 離れ離れの時を帳消しにしてくれ。

 危険の中で激しく愛してくれ。

 

 かっこいい!まぁ、主人公よりエド派だけどね。そして「危険の中で激しく愛してくれ」って、年齢的に激しく愛したら召されちゃう的な危険か?って思ってしまって台無しですね。