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読書日記 2024年5月15-21日

2024年5月15-21日

・J.D.サリンジャー野崎孝訳)『ナイン・ストーリーズ

沼正三家畜人ヤプー』1巻

伊坂幸太郎『PK』

トルーマン・カポーティ小川高義訳)『ここから世界が始まる―トルーマン・カポーティ初期短編集―』

・ジュノ・ディアス(都甲幸治・久保尚美訳)『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』

・ジュノ・ディアス(都甲幸治・久保尚美訳)『こうしてお前は彼女にフラれる』

・ジョン・ディクスン・カー(加賀山卓朗訳)『火刑法廷』

 

以下コメント・ネタバレあり

・J.D.サリンジャー野崎孝訳)『ナイン・ストーリーズ

 読むの初めてじゃないはずなんですが、内容全然忘れてました。今でもよく意味が分からなかったりするし、若い頃はますます全然分かってなくて覚えられなかったんだろうなーと。「バナナフィッシュにうってつけの日」「対エスキモー戦争の前夜」「エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに」「テデイ」が特に好きです。

 

沼正三家畜人ヤプー』1巻

 何で読もうと思ったのか全然思い出せないのですが(有名だから目を通しておこうと思った?)半額セールで買った記憶。とにかく設定が長すぎて、ほぼ設定で1巻終わりました。細かい設定がネチネチと続くエログロ小説なので、冨樫義博とか好きそうな感じですね。

 これ、どんな気持ちで読めばいいのかよく分からない本です。人種差別や性差別がかなり強烈な形で皮肉に描かれるのでディストピア小説のようにも読めるんですが、一方でただのマゾヒスト男性の性的ファンタジーにも見えます。サブカルエログロものみたいな。面白かったのは、性的役割の逆転が単なる「女性が積極的で男性が受け身」に留まらず、精神的な支配・隷属関係にまで及んでいたことですかね。これは、男女を逆転すれば現実に起きていることだと考えるとかなりグロテスクです。また人種差別問題に関しても、実際に白人が黒人を人間扱いしてこなかった歴史を踏まえると恐ろしさは際立ちます。一方で多くのエログロ描写は現実と対比して読むことは難しいので、そういう部分についてはこの人こういうの好きなんかな…という感想に留まってしまいます。

 しかしこれ読んで、作者はマゾなのかな?これって願望?と思ってしまうのはなぜなのだろう。『侍女の物語』『声の物語』みたいな女性が人権を奪われる系ディストピア小説は全然そうは思わないのですが。男性が読めば怖って思うのか?しかし『侍女の物語』や『無垢なる花たちのためのユートピア』読んで感じた切実な恐ろしさと比べたら、トンチキファンタジーやん…と思ってしまうのは否めない。語り口が超真面目だし差別問題を描いている風なのでディストピア小説として読んじゃうけど、そんな真面目に読むもんじゃないのではないかという気持ちもありほんとよく分からん。

 途中から面倒になってきてほぼ斜め読みしていたし、続き読みたいと思うほどでもなかったです。何かきっかけがなければ多分もう読まないな。

 

伊坂幸太郎『PK』

 勇気の量を試される、信念を貫く、というテーマに貫かれた小説ですが、だからうまくいくというわけでもありません。信念を貫いた結果いい結果にならなかったとしか考えられないような流れになるキャラクターも複数います。実際、「誰かが主義を曲げなかったがために、一人の意地や自己満足のために、大勢の人々に災難が起きる。そういったこともあるのではないか」と書かれます。ヒトラーが信念を貫いたのは正しかったのか?とか、そういう邪悪なことじゃなくても、自分の行動がどう影響するか分からないみたいな。

 パラレルワールド的世界が書かれるのでどう繋がっているのか何度か読み返してみました。まとめた記事も書いたので後でアップします。

 

 2024年6月22日追記:アップしました。

yuifall.hatenablog.com

トルーマン・カポーティ小川高義訳)『ここから世界が始まる―トルーマン・カポーティ初期短編集―』

 サリンジャー読んだ後だったので、面白いけど随分分かりやすいなぁ…と思っていたら十代とかの時に書かれた超初期の短編集でした。これを十代で書いたとか恐ろしすぎる。巻末の解説が村上春樹で、「これはカポーティを初めて読む人にはお勧めしないがカポーティのファンなら楽しめるだろう」と書いてあって、私はカポーティを初めて読むし楽しめたのですけど、「これ読んでカポーティを知った気になるなよ」ってことなんだろうなーと思った。『冷血』とか『ティファニーで朝食を』などでカポーティを知ってる読者が、「若い頃はこういうのも書いてたのかぁ」って楽しむためのものなんだろうなと。

 

・ジュノ・ディアス(都甲幸治・久保尚美訳)『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』

 ドミニカ人非モテ男の一生を描いた小説ですが、姉、母、祖父の人生までもが描かれ、姉の元恋人でオスカーの友人(ユニオール)も語り手として登場し、そこにドミニカの独裁者トルヒーヨが昏い影を落とし、一族の呪い「フク」として襲い掛かります。そういう中南米ファミリーヒストリー的マジックレアリズムでありながら、オスカーがオタクであることでSFやマーベルコミック、RPGなどアニメ、ゲーム、漫画、小説、映画、TVドラマ等多岐にわたる膨大なサブカルで彩られており、またスペイン語混じりに語られるので、今まで読んだことない感じのポップ小説になってます。固有名詞には丁寧に注釈がついているし、原文スペイン語で書かれている部分にはカタカナのルビがついているので、とても読みやすく面白かったです。

 

 どこか余所でならオスカーの女性打率ゼロ割ゼロ分ゼロ厘という成績も誰にも触れられずに過ぎたかもしれないが、われわれが話しているのはドミニカ人家庭のドミニカ人の男の子についてである。男子たるもの、みながみな放射能レベルGで、女の子など両手の手綱で自由に操れなければならない。

 

という環境で育ったオスカーはモテないけどめちゃくちゃ惚れっぽく、三次元女性に気持ち悪いアタックを仕掛けまくってはフラれ、最後は年上の元売春婦の人妻に恋をして、その夫の仲間に殺されます。二次元の「萌え」に行かず三次元女性に気持ち悪く迫るのは(日本人ではなく)ドミニカ人だから?それとも80年代後半~90年代前半のオタクだから?日本だったら10代の少年が女性打率ゼロ割ゼロ分ゼロ厘であっても全く誰も気にしないどころかむしろ普通かもしれん。

 

 この導入部から途中で家族の膨大な歴史が語られるのですが、最後またオスカーの話に戻ってきます。オスカーは死ぬ前に童貞を捨てたことが分かります。途中で語られる部分のほとんどがドミニカで生きる女性がいかに性に翻弄されるかということなので(独裁者に娘を差し出すことを拒んだ父親が投獄され、一家は殺される→赤ちゃんは売り飛ばされて虐待され、背中に熱した油をかけられる→ようやく探し出してくれた親戚に引き取られたが、中学で体型が女性らしくなるとすぐに男の餌食になりセックススキャンダルで退学→ギャングの女になり妊娠し捨てられ、リンチに遭う→国外に出て結婚するが3年後2人の子供をもうけたところで捨てられる→息子は溺愛するが娘との関係はめちゃくちゃになる→娘もまた若くして家出し男と暮らしたり売春したりする)、そんな世界で童貞のまま生きたオスカーの人生の、最後のこのくだり読んで涙出そうになってしまった。

 

オスカーが本当に感動したのはセックスのバンバンバンという部分ではなくて――それまでの人生で彼が予想もしなかった、ちょっとした親密さだった。イボンの髪をとかしたり、干してある彼女の下着を取り込んだり、裸のままトイレに行くイボンを眺めたり、彼女が急にオスカーの膝に坐り、彼の首に顔を埋めたりといったことだ。イボンから少女時代の話を聞いたり、自分がこれまでずっと童貞だったことを話したりするという親密さ。こんなにも長い間これを待たなきゃならなかったなんて信じられないとオスカーは書いていた(待っていたなんて言い方はしないほうがいいと言ったのはイボンだった。じゃあなんて言えばいい? 彼女は言った。そうね。ちゃんと生きてきた、かしら)。オスカーは書いていた。他のやつらがいつも話していたのはこれだったんだね! まったく! 僕も前から知っていたらなあ! 素晴らしい! 素晴らしい!

 

 セックスは知っていても、こんな親密さを一生知らずに終える人なんてたくさんいるだろうと思う。セックスについて他のやつらがいつも話しているのは本当はこれじゃないんだよ。これについて知らない人はいっぱいいるんだ。でもオスカーはたったこの1週間しか女性とそういう関係を持たなかったけど、最初で最後のその時間で本当に大切なことに気づいたから、彼の人生は豊かなものだったんだろうと思います。舞城王太郎『煙か土か食い物』 思い出しました。

 

 心を安らげるイメージ。女。俺を抱いてくれる優しい女たち。リタ・バスケス、フィオナ・ブライエン。マリア・デル・テオ。フェリシティ・オコナーのおっぱい。ヴィクトリア・シェファーのめくるめく性技。理保子が見せた獣みたいな姿。ヘイ、オールアイニードイズサムインティマシー。ファックに用はない。俺は女をマジに好きになったことがない。いや胸を焦がしたり追いかけたくなったりすることはあるが友達みたいに気を許したり一緒にいるだけで気が安らげられたりするようなことがないのだ。ファックファックファックファックファック。ファックオンリー。そればっかりだ。俺の性欲は処理されるためのもので、例えば愛の証であったり愛を確かめ合う手段だったりましてや家族を作るためのものであったりはしない。クソ、でも俺は本当は親密さがほしいんだ。全てを預けてしまえるような種類の親密さが。これまで持ってきて作ってきて溜め込んできたものを一度に全部投げ出してしまっても平気の余裕の楽勝の親密さがほしいんだ。揉んだり吸ったりするためだけのものじゃない女の胸。大きさなんて関係ないと思うような胸。ただ俺の頭を優しく埋めてくれさえすればいい。薄くたって厚くたっていい。暖かければいいんだ。俺はその胸に頭を載せてゆっくりと眠りたい。守られて眠りたい。

 

・ジュノ・ディアス(都甲幸治・久保尚美訳)『こうしてお前は彼女にフラれる』

 こっちはセックスは知っていても親密さを知らない男、ユニオールの話です。うーん、こういうのってどうも共感できないんだよなー。確かにユニオールは家庭環境に問題があり、浮気を繰り返し家族を捨てた父親と兄だけを溺愛する母親、超モテモテで女を使い捨てしてた兄がいて、兄が死んで、今度は自分が兄に成り代わりたい、それはおそらく母親や兄への叶わぬ愛情が裏にあり、そのために年上の女性との肉体関係に溺れてしまうもその女性はユニオールの高校教師であり対等な関係ではなく、しかも彼女が愛しているのは実は兄で、同世代の女性と対等な関係を築く自信を喪失したユニオールはタガが外れたように次々に女性と…みたいな流れであるのはすごくよく分かるんですけど、一方で、傷ついた男は女を使い捨てにしていいのか?そんなん免罪符になんの?こういうどん底系ストーリーの主人公が女だった場合、だいたい妊娠や暴力の被害によってのっぴきならない状況に陥っていく話になりますけど、男は妊娠した女をポイ捨てして次に行けるじゃん。どんどん女を使い捨てして「俺って不幸」やられてもさー、共感できないんだよな。ユニオールは実際は妊娠した女をポイ捨てしたりはしてませんが、「あなたの子よ」と妊娠して現れた元カノ(黒人女性)について「ハーバードまで行って妊娠するなんて黒人女とラテン女くらいしかしない。馬鹿か。そんなことは家の近所でもできるだろ」みたいな超舐め腐ったことを日記に書いて激怒されます。いやー、お前だってそうだろ。女孕ませるだけなら家の近所でもできるだろ。

 あと描かれてる女がだいたい無個性すぎ。これは筆力的な問題では絶対なくて、ユニオールが女を区別してないせいだと思います。「母親の愛を求める男が浮気を繰り返す」という源氏物語と同じモチーフでありながら、次々に現れては消える女ではなく、ユニオールと兄のラファのみにフォーカスが当たってるんだよね。個性的な女は兄と一瞬結婚してたプラと、ユニオールの最初の女であるミス・ロラ、ミス・ロラと寝ていた時の恋人のパロマ(ユニオールに絶対セックスさせてくれなかった同級生)、それに母親くらいなもんです。あとは大概モブです。なぜならユニオールが誰とも親密にはならないから。取り換え可能な女しか描かれないからです。裏表紙に有識者のコメントとして

 

かっこわるいから、貧乏だから、浮気するから、それでフラれるのではない。フラれるのは、私たちがどうしようもなく「人間」であるからだ。

 

と書かれてたけど、はぁ?ってなった。相手を人間扱いしてないからだろ。ジュノ・ディアスはそれを書いてるだろ。自分をさらけ出せない、女と親密になれない男の話として。だからユニオールはオスカーに憧れていたんだろう。

 

どうして男たちは親密さを恐れるのだろうか。親密な関係にいったん入ってしまえば、彼は関係をコントロールする力を失い、マッチョな自分ではいられなくなってしまうからか。(中略)親密な関係はやがてすべて壊れてしまうだろう。だったらそもそも親密になどならないほうがいいし、うっかりそういう関係に入ってしまえば、失われる前にむしろ自分で壊してしまったほうがましだ、という信念がユニオールにはあるのではないかと彼(*ジュノ・ディアス)は言うのだ。

 

と解説には書かれていて、それが描かれているのはとてもよく分かるんですが、じゃあ、親密さを信じて身を捧げ、若くして妊娠して人生の全てが変わってしまう女たちはどうなるのか、と私はどうしても考えてしまう。男は全て壊して逃げられるけど女はそうじゃないじゃん。全て壊してごみ溜めから逃げ出し「俺かわいそう」してる男が切ながってる間、女はごみ溜めでウエイトレスしながら子供に飯食わせてるわけじゃん。

 というわけでユニオールにはこれっぽっちも感情移入できませんが、ジュノ・ディアスが描きたいことは別に「男はつらいよ」ってことではないんだろうとも思います。

 私が好きだったのは移民の孤独を描いた「もう一つの人生を、もう一度」と「インビエルノ」です。この本のテーマから言うとやっぱり「ミス・ロラ」が一番なのかなとも思いますが。

 

・ジョン・ディクスン・カー(加賀山卓朗訳)『火刑法廷』

 米澤穂信のおすすめ本。オカルティックな状況で1人の人間が殺され、まあセオリー的には全て理詰めで解決されるんでしょ、とか思いながら読んでて、実際そうなんですが、「ラスト5ページで永遠の名作になった」と米澤穂信は書いてます。普段ホラーは好まないのですがホラー読みの方がむしろ面白いかもしれないと思いました。ミステリ的解決も提示されてる点が理不尽なホラーものと違って面白いです。