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舞城王太郎『煙か土か食い物』 感想

 不定期に読書感想文あげます。長くなったやつ。

 

 ずっと積読になってた『煙か土か食い物』を読みました。

 以下、大きなネタバレはないものの本文から引用しまくりなので畳みます。

 

 出だしからすごい疾走感でびっくりした。そのまま最後まで読んでしまった。すごい文体ですね。引き込まれて止まらん。

 

一郎のベンツがギュギュギュギュとタイヤを軋ませて駐車場をロケットスタートしたとき、唐突で脈絡ゼロだが俺はある種のエクスタシーを感じる。俺たちは兄弟だ!この時の一郎は二郎の霊でも乗り移ったみたいに見えたが本当は単に一郎も二郎も兄弟だから実際ちょっと似たところがあるのだ。一郎の一部は二郎だし、それと同じように俺の一部も二郎だ。そして俺の一部は一郎だし一郎の一部も俺なのだ。だから俺も一郎も病院の駐車場を飛び出てから一緒に大笑いだった。むちゃくちゃスカッとした。同時に気恥ずかしい気分だった。おいおい俺たちこんな側面まで見せていいのかよと俺は思わないでもなかったが構うものかという気持ちのほうが強かった。なぜなら、繰り返すが、俺たちは兄弟だからだ!何を恥ずかしがることがあろう!それにしても一郎が誰かに暴力を振るうとはね。俺と殴り合うとはね!

 

俺は血管の全てを知っている。俺の狙いは外頸静脈。舌先で歯の位置と深さを確かめる。男の悲鳴。脇で怒声が聞こえる。「やめろコラ!」。いいえやめません。やめるつもりなどありません。血を見るまでは。

 

俺は噴火する。発作的にルパンの車の中で暴れる。俺は竜巻になる。ウィンドウを拳で殴りダッシュボードを蹴りつける。特にウィンドウのほうは助手席横のものもフロントガラスも粉々に砕いてしまうつもりだ。ガンガンガンガン!俺の肘が当たってルパンが悲鳴を上げる。知るか。ファックイット!ファックオール!ファックエヴリシング!ガンガンガンガン!

 

 メフィスト賞受賞作品ということでミステリーかな?と思って読み始めたのですがミステリー感はあんまりないです。あんまりというかほぼないです。犯人は登場した瞬間に分かるし(別に私の洞察が鋭いわけではなく、登場キャラクターが少ないしあからさまに怪しいので誰だって分かると思います)、最初の人物紹介で「犯人…〇〇」とクレジットしても全く支障がないレベルです。謎解きもとにかくスピード感がすごくて、主人公が何かよく分かりませんが一瞬でだいたい解決します。海外ドラマっぽい展開ですね。

 犯人が判明してからも、犯人と対決して解決編!とかやる前に主人公が「犯人が分かった、こいつだ」って名前も住所も電話番号もとにかくありとあらゆる個人情報を警察にもマスコミにも巻き散らかすし、こんなん見たことないわー…、って唖然としました。暗号が複数提示されるのですが結果的にほぼ意味ないし(ホンワカパッパで笑ってしまった)、動機も考えるだけ無駄って感じです。本文にも「馬鹿げている。馬鹿げていすぎる。馬鹿げていすぎる。馬鹿げていすぎる。」って書いてましたね。結局何だった??みたいな無駄エピソードもちょくちょく挟まってるし。

 

 というわけでミステリーとして読むと ?? って感じですが、普通に小説として面白いです。主人公は奈津川家の四男、四郎で、アメリカの病院のERで働く外科医です。母親が連続主婦殴打事件の被害者になって意識不明になったため故郷に戻り、なんやかんやで犯人捜しするみたいな。文章は怒涛の心理描写と(小説内部での)事実で成り立っていて、情景描写はほぼありません。情景描写なくても小説って成り立つんだー、って変なとこでとても感銘を受けました。

 友人や兄弟との会話は福井弁で書かれるのでそれも面白いです。主人公が英語混じりの思考をしているので、文章の中に英語、標準語、福井弁が斑状に混じり合ってすごいドライブ感です。最初に登場するメインキャラクターが四郎のとてつもないアホな友人のルパンなので、その会話にまず度肝を抜かれます。

 

息も絶え絶えになりながら「お前、結婚してるんじゃなかったっけ」と俺が訊くとルパンはうなずいて「してる」と言う。

「高校時代の同級生やろ」と俺。

「いっこ上の先輩」とルパンが訂正する。

「ふん。妾は誰よ」

「おめえの知ってる奴ではねえよ。高校生や」

阿呆だなこいつは。本当に阿呆だ。

「ウチの奥さんはいい奴なんやけどな」とルパンは語る。「家事もようできるし料理もうまい。人から美人やと言われるし俺も美人やと思う。頭もいいわ。俺と違って」

「お前ら、子供は?」と俺は訊く。

「一人、今お腹ん中にいるわ」

俺は耐えられずに言う。

「お前は最低最悪の阿呆やルパン。底抜けの大馬鹿や。本物の救いがたい猿や。一体全体何だって高校生なんかに手え出さんとあかんのやって」

(中略)

「どこでその子と出会ったんよ」と俺は訊く。こいつの職場は西暁町役場の地域課だ。そんな場所は女子高生とは関係ない。

「俺の奥さんは精神科の先生なんや」とルパンは言う。「福井に自分のクリニック持ってる。ウサギはそこに通うてる患者」

「つまり、奥さんの患者に手え付けたってことか」

「ほうやな」

 俺は無駄だと知りつつ言ってしまう。「おめえ完璧に頭おかしいわ。今度マジに奥さんのセラピー受けてみれや」

 ルパンは俺の忠告を冗談だと思ったらしくて少し笑ったが俺はコンクリートみたいに真剣だった。こいつはとんでもない間違いを犯しながら取返しのつかないところまで来てしまってもまだそれに気付かなそうな馬鹿だぞ。まともな奥さんとそのお腹の中の赤ちゃん。馬鹿なルパン。しかし俺は溜め息をつく他なかった。何を言っても無駄だ。ルパンは果てしない大馬鹿だからだ。

 

 その後もスーパーエリートでイケメンででも手の付けられない変人ばかりの四兄弟が続々登場し、みんな福井弁でしゃべります。なんかかわいい。

 でも内容はかわいいどころではなく、壮絶な虐待の連鎖です。そして主人公はいわゆる「信用できない語り手」です。物語が進むにつれて家族へのアンビバレントな感情が次々に溢れ出します。それは一場面ずつを切り取れば全く矛盾しているのですが同時に連続性があって、途中で実際に「自分たちの不連続線を乗り越える」と書かれてもいます。そのような自分の中の矛盾を受け止めつつ、家族を受け入れていくストーリーです。

 小説の中では連続主婦殴打事件の他、家族内で過去に起きた2つの事件についても描かれます。一つ目は祖父の自殺の真相、二つ目は次男の失踪の真相。四兄弟のうち最も手の施しようがない暴れん坊で父親と不仲だった次男の二郎は17歳で失踪していなくなっているのですが、最後にその謎が三男の三郎によって解決されます。ついでに祖父の死の真実も暴かれます。しかしこの解決編が示されることによって、同時に、二郎がどうなったのかを父親の丸雄だけがずっと知っていたことが示唆されます。

 

 もしジャンル分けするとするとハードボイルド小説なのかなぁ。繰り返し繰り返し暴力が描写され、合間にセックスが挟まります。四郎はずっと愛に憧れながらも女性と刹那的な関係を繰り返しています。女性と一対一の親密な関係性を築けない理由として、両親の関係、親子の関係、兄弟の関係性が影響していることが分かります。

 

俺は女性に対して二郎みたいにスーパークールに振舞えるだろうか?ベタベタとかジメジメとかをあんなふうに完璧に排除できるだろうか?二郎みたいにいろんな女と取っ替え引っ替え寝るだけ寝て楽しみまくったほうが楽しそうだし俺という人間のタイプ的にも合っている気がするが、現実にそんなことがありうるのかどうか判らないけど一人の女と長く親密に付き合えたほうがいいような気もする。本当はどっちが正しいんだ?≪唯一の恋人≫なんて結局のところ俺の無い物ねだりなのか?まあ俺の問題はともかく二郎の女捌きは本当にビューティフルだった。男と軽々しく遊ぶようには見えない普通の女の子達まで二郎は易々と引っ張り込んで易々と捨てた。二郎は自分を本気に好きになった女たちとも涙なしでうまく別れたようだった。多分二郎とつきあう女たちは二郎という男に泣き落としは通じないということを別れるまでに学ぶのだろう。あるいは二郎に別れを告げられた女たちは二郎に縋り付いたりするのを恥じてしまうのかも知れない。あるいはひょっとして、二郎とつきあっているうちに女の子たちは二郎を諦めてしまうのかも知れない。いろんな意味で。とにかく二郎がどんなマジックを使ったのかもしくは何もしていなくてもそうなるのか判らないが、ともかく俺が弟という立場で外から見ている限り二郎は何の問題もなく多数の女と次々に寝て次々に捨てていた。ハートレス。しかしイージーでカンファタブル。

 

 ですが、途中で一郎と喧嘩して「不連続線」を乗り越え、家族への愛憎を自分に認め、三郎に助けられた四郎は犯人を追いながら心の中でこう語ります。

 

 痛み止めが切れてきて俺は全身苦痛の塊みたいになってくる。鎮痛剤がほしくて堪らない。呼吸に神経を集中して痛みを忘れようとするがあまり上手くいかない。全然上手くいかない。くそ。この世には全てがある。でも俺のそばにはたった一錠の鎮痛剤すらないんだ。どんな種類でもいい。どんな種類でもいい。俺を殺そうとしているこのクソっ垂れの苦痛を止めてくれる物がほしい。オールアイニードイズサムペインキラー。ないんだったらいっそ一思いに俺を殺してしまってくれ。大して生きてる価値もないんだ。

 心を安らげるイメージ。女。俺を抱いてくれる優しい女たち。リタ・バスケス、フィオナ・ブライエン。マリア・デル・テオ。フェリシティ・オコナーのおっぱい。ヴィクトリア・シェファーのめくるめく性技。理保子が見せた獣みたいな姿。ヘイ、オールアイニードイズサムインティマシー。ファックに用はない。俺は女をマジに好きになったことがない。いや胸を焦がしたり追いかけたくなったりすることはあるが友達みたいに気を許したり一緒にいるだけで気が安らげられたりするようなことがないのだ。ファックファックファックファックファック。ファックオンリー。そればっかりだ。俺の性欲は処理されるためのもので、例えば愛の証であったり愛を確かめ合う手段だったりましてや家族を作るためのものであったりはしない。クソ、でも俺は本当は親密さがほしいんだ。全てを預けてしまえるような種類の親密さが。これまで持ってきて作ってきて溜め込んできたものを一度に全部投げ出してしまっても平気の余裕の楽勝の親密さがほしいんだ。揉んだり吸ったりするためだけのものじゃない女の胸。大きさなんて関係ないと思うような胸。ただ俺の頭を優しく埋めてくれさえすればいい。薄くたって厚くたっていい。暖かければいいんだ。俺はその胸に頭を載せてゆっくりと眠りたい。守られて眠りたい。

 ああ俺は苦痛に負けそうなんだ。弱気になってる。何だよ誰かに守られたいって。誰かの胸で眠りたいって。お前は傷ついた少年か。保護の必要な未成年か。お乳の吸い足りないママズボーイか。しゃんとしろこの野郎。目を開けろ。苦痛はお前を苦しめはするが殺したりはしない。苦痛は確かにあるがそれから逃れることは今のところできない。ゆっくり休みたければ仕事を済ませてしまえよコックサッカー。ドントビッチアバウトエヴリシング。ドント・ビッチアバウト・エヴリシング!

 

 この世には全てがある、でも俺のそばにはたった一錠の鎮痛剤すらない。これはそのまま、彼と女性の関係にも当てはまります。女性を使い捨てにする兄に憧れながらも、一方では親密になれる、心を預けて安らげるたった一人の相手を求めている。でも祖父母や両親、兄夫婦、友人夫婦の関係はどれも破綻しています。まあ、ただ、必ずしも機能不全家族の一員でなかったとしても、女性に対して親密さを持てない男性は現実的には多いんだろうなとも感じます。だからこそこういう切実な語りが胸を打つのですが。

 この四郎というキャラは「信用できない語り手」であると同時に(読者に対して)非常に明け透けなので、こういう部分読んでいてとても胸が痛みました。他にも、兄に傷つけられた場面、二郎に対する一郎や三郎の対応への辛辣な眼差し、そう感じながらも何もできずにいた自分への失望、そういうものが明け透けに語られるので、剥き出しの傷口を見せられているような気分になります。

 

 色々ありつつも最後はハッピーエンドな感じで終わります。タイトルの『煙か土か食い物』は「人間死んだらこうなる」って意味でした。英語タイトルが Smoke, Soil, or Sacrifices でかっこいいです。

 作中には色々な文学作品などの引用があるのですが、敢えて引用と書かないまでも「病院は暗く、死もまた暗い」とか(マーラー大地の歌』のオマージュですが、あるいは笠井潔『バイバイ・エンジェル』のオマージュなのか?)、谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』のオマージュ的表現など他にも色々あって、「おっ!」となる感じが楽しいです。

 

 で、面白かったのでそのまま『されど私の可愛い檸檬』を読んだのですが、こっちはなんか個人的にはいまいちでした。『トロフィーワイフ』は何らかの思考実験をそのまま見せられているような感じで小説に見えなかったし、『されど私の可愛い檸檬』は“(診断名ではなくいわゆるネットスラングとしての)アスペの人の生きづらさ”みたいな感じだったし(これはもっと若い時に読んでいれば、年齢も時代も違っていて違う感じ方があったのかもしれない)、よかったのは『ドナドナ不要論』くらいかな。ちょっと視野が狭いけど普通っぽかった奥さんが病気をきっかけにめちゃくちゃ自己中になっちゃうのが、何かリアルだった。自分もこうなるかもしれないという怖さがありました。でもこういう普通の小説だと、会話会話会話心理描写心理描写ちょっとだけ情景描写みたいな文体はちょっと軽すぎてどうかなって。特に『トロフィーワイフ』はわざとらしい会話の応酬でとても読みづらかったです。ハードボイルド向きの文体なのかもって思ったのですが他も読んでみたらまた印象変わるだろうか。