「短歌と俳句の五十番勝負」 感想の注意書きです。
喰らひ合ふ夜食共謀罪めけり (堀本裕樹)
エッセイの冒頭に「夜食は秋の季語である」旨が説明されます。もともと夜食というのは、秋の収穫時期に夜遅くまで働く農家の人たちが摂るものだったのだそうです。この句は「喰らひ合ふ」なので複数人でいることが示唆されていて、そこで「夜食」というのはちょっと罪悪感というか、「ほんとはダメだけど、今日は特別ね」みたいな「共謀罪」かなって思います。
昔、父が夜に飲みに行くと、帰りに寿司折とかミスタードーナツの詰め合わせを買って帰ってくれることがありました。なんか昭和の漫画みたいですけど本当にそうだったんですよね。で、お寿司とか翌日痛むかもしれないし、みたいな感じで、そういう時だけは家族で夜食にしてしまったりして。そんなことを思い出しました。エッセイには
この句は夜食を何人かでむさぼるように食べている。油でぎとぎとした歯や舌や唇は、何やら犯行を企んでいるようだ。
とありますが、別に「犯行を企んで」いなくても、「夜食」自体になんとなく「罪悪感」はあって、それを複数人で共有する時やっぱり「共謀罪」みたいになるのかなーって思いました。読めば読むほどすとんと腑に落ちる感じの句です。
この句を読んで、
ドーナツに埋めようがない穴がありこんな時間に歯を磨いてる (生田亜々子)
という短歌を思い出しました。この人の「夜食」は「共謀罪」ではなく、共犯者はいないような感じがしますね。だからこそ「埋めようがない穴」があるんだろうな。
憎まずに誰が異性を恋うだろう #YesAllWomen 共謀罪と言いたがるひと (yuifall)