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「短歌と俳句の五十番勝負」感想39.描く

「短歌と俳句の五十番勝負」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

脱ぎ捨てたビーチサンダルに描かれた目玉が見つめている太陽 (穂村弘

 

 この短歌いいなって思ってエッセイを読んでいたら、最後に

 

短歌を作った後で、ふと思いついて、「ビーチサンダル 目玉」で検索をかけたら実在してて驚いた。

 

とあったので思わず検索してしまった。目玉サンダル、かわいかったです。

 それにしても、実在していないと思っていたのに「ビーチサンダルに描かれた目玉」って言葉が出てくるのってすごいなあ。ビーチサンダルに描かれた目玉は目を背けられないし、太陽を見つめるしかないっていう怖さはありますね。太陽は直接見ちゃだめって言いますもんね。

 

 以前、

 

サンダルが好きだ真夏に住み着いてサンダル履いて暮らしていたい

 

って歌作ったことがあったのですが、サンダル好きです。昔、hot flopsのビーチサンダルがお気に入りだったなって思い出しました。

 

 それにしてもこの歌、

 

ぬぎすてた びーちさんだる にかかれた(えがかれた?) めだまがみつめて いるたいよう

 

で最後が字足らずです。だから、「目玉」「太陽」という取り合わせの後にちょっと余白があって怖い感じがするのかも。実際の光景を思い浮かべると、ビーチサンダルの持ち主はむしろ海の中で楽しんでいるんだろうなって思うんですが。これが「月」になっちゃうと「置き去りにされたビーチサンダル」あるいは「入水」っていういかにもな光景になっちゃうし、「太陽」の明るいのに直視できない眩しさがいいんだなと思いました。

 

 エッセイでは、子供の頃の海辺の思い出が語られます。ラムネもかき氷もヤキソバも日焼けもっぽくて不健康そうで「その場限りのでたらめな熱狂」があったこと、今では日焼けは嫌われかき氷は本物の味がして、「社会の成熟を感じて、何故かさみしくなった」こと。

 社会の成熟がさみしいかなあ。そう思うのはマジョリティだからでは、って感じてしまう。単に、子供の頃に感じた気持ちやその風景は大人になると失われてしまう、というノスタルジックな気持ちなのではないだろうか。

 確かに今の子供はもう空き地で野球したり駄菓子屋で買い物したり道路にチョークで絵を描いて遊んだりはしてないかもしれないけど、その時代がよかった、っていうのはその時代に子供だった人たちの勝手な言いぐさで、多分いつの時代にも何らかの子供だけの楽しみや思い出ってあるんじゃないかなって思ってます。もっと言えば、それより前の「社会が成熟していない」時代の子供って食うや食わずで戦争の渦中にいたり家事・育児してたり働いてたりしてたわけだしね。

 

 

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