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「短歌と俳句の五十番勝負」感想34.適性

「短歌と俳句の五十番勝負」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

瓜番として適性を見るといふ (堀本裕樹)

 

 これ、「適性」というお題がいいためか短歌も俳句も面白くて、特に俳句とそれにまつわるエッセイが面白かったので俳句を引用してみました。エッセイ全部面白いのですが、どこを引用すればうまく伝わるのか分からず何度か読み返しながら悩みました。

 

 まず、「季語は増え続けているのか」と聞かれることがある、というエピソードから始まります。確かに新しい概念が導入されれば季語は増えるはずで、以前調べて面白いなと思ったのは、明治時代に西洋から草花を輸入して外来種が定着するとその草花に関連した季語が生まれたという話や、正岡子規が野球が好きすぎて(ベースボール、と訳したことも有名ですよね)季節ごとに野球に関連した句を詠んでおり、それと関係あるかは不明だけど2006年に「球春」という言葉が春の季語として採用された、という話です。(でも、野球は夏、サッカーは冬のイメージがありますけどね…)

 しかし実際には季語は減ってきているそうです。その理由としては、死語となっている言葉が増えているからなのだとか。夏の季語「瓜番」もその一つで、畑の瓜を盗みに来る人を見張って捕まえる仕事のことなんだそうです。確かに、今もはやそのような職業はないですね。季節に関連した職業はどんどんなくなってきているのかも。

 

 この後、高浜虚子の句が引用されます。以下、エッセイからの引用ですが、

 

先生が瓜盗人でおはせしか  高浜虚子

 

 これは悲しい結末である。まさか、あの先生が瓜を盗んでいたなんて。「おはせしか」の敬語に込められた複雑な心情が、妙に切なく響いてくる。でも、先生が辺りを見回しながら、そろりそろりと瓜畑に入っていく様子を想像すると、やっぱりちょっと可笑しい。

(中略)

 台詞のように呟かれたこの句には、虚子の俳諧精神の一面が窺えるのである。

 

とあり、とても面白かったです。こんな句があるんですね。

 

 堀本裕樹の俳句は、「瓜番をさせることで適性を見る」という意味合いですが、何の適性なのかは分かりません。穂村弘の短歌の方は「何が」「何の」適性なのか分かる作りになっているので、これは短歌と俳句の文字数や情報量の違いなんでしょうか。何の適性か分からないままに「瓜番」という死語となった季語が提示されるのは面白いと思ったし、仮にエッセイを読まなくても虚子の句を知っていればさらに奥行きが感じられる作りになっていて、こういう「借景」というか、過去作品も含めた重層的な「読み」ができるのは詩歌の面白さだな、と思います。

 

 このお題、西崎憲が出しているそうで、最初読んだ時は知らなかったのですが後から 西崎憲=フラワーしげる だと知って驚きました。「適性」という題の玄人感が色々なところで指摘されています。巻末の対談でも穂村弘

 

この二人(注;北村薫西崎憲のこと)は詩歌のことをよく知っていて、余り詠われないゾーンに球をわざと投げてきたと思う。

 

と言っています。

 

 ちなみに「適性」という題で真っ先に思い浮かんだのが花山周子の

 

この頃思い出ずるは高校の職業適性検査の結果「運搬業」

 

でした。この歌のインパクトはすさまじいです。もしこれが「適性」の題詠だったら絶賛だったんじゃないかと思います。この歌を思い出して「職業適性検査」でググってみると厚労省のサイトにヒットするのですが、

https://shigoto.mhlw.go.jp/User/GTest/Introduction/Part1

このグラフを見るに、「空間判断」「言語」「数理」のいずれも高くない数値が出た場合の職業適性が「作業・運転」に該当するようで、花山周子のこの歌は「適性検査で点が取れない」という自虐的な意味合いだったのだろうか?しかし、運搬業には「空間判断」重要な気がしますけどその辺の解釈はどうなっているのでしょうね…。

 

 試しにやってみたところ、今の自分の職業を含むカテゴリーに該当してしまい、なんだかつまらないなと思ってしまった…。残念ながら隠れた才能とかはなかったようです。

つまんねえ奴で悪いな! 適性の検査で今の仕事推されて

って短歌作ったけどほんとにつまらないので没にしました…。

 

 

結局は人づきあいの適性でwebもリアルも壁打ちである (yuifall)