「短歌と俳句の五十番勝負」 感想の注意書きです。
水泳の後の授業の黒板の光のなかに溶ける文字たち (穂村弘)
このお題の出題者は小学生みたいです。穂村弘はそれを分かっていて「黒板」にしたのかな。「挿入」の回で、堀本裕樹が荒木経惟の出題であると分かった上で句を作っているというような表現をしていたので、どのお題も出題者が誰なのかは事前に分かっているのかなあって気がします。
この歌は、だけど小学校じゃなくてもよさそうですね。逆に、小学生の頃って水泳くらいじゃ眠くならなかった気がする。やっぱり猛烈に眠いのは思春期ですよね。中学校くらいかな。水泳の後、次の授業に集中しようとしてもどんどん目が閉じてくる感じ。
「光のなかに溶ける文字」って表現うまいなあって感心しました。普段あんまりこういう読み方しない(できない)のですが、水泳「の」後「の」授業「の」黒板「の」光「の」ってたたみかけていって「なかに溶ける」っていう流れも、本当にそのまま溶けていってしまいそうな、というか光のなかの眠気に吸い込まれて行くような感覚になって、ああ、これはあらがえないなあ、と思いました。
それにしてもこのエッセイの言葉遣いも面白くて、眠いときに書いたんじゃないのかという感じの文章です。
(前略)馬鹿な。そんなに来ないだろう、台風。じゃあ、この眠みはなんなんだ。いつもまとわりついている。(中略)僕は、今も進行形で、永遠に何かに届かないつつあるみたいだ。
「眠み」「届かないつつある」という日本語の乱れがなんとも面白いです。ああ、眠いんだなあ、って思った。本当に言葉の使い方が魔法がかってますよね。凄いなあ。いつもは「わかりみ」とか「つらたん」みたいな表現好きじゃないんですけど、文脈によっては許せるんだなって思いました。
一方俳句の方も完成度が高いしエッセイも面白いです。「黒」って題もセンスありますね。
何もかも跳ね返す色 モニターの黒に不意打ちされて無防備 (yuifall)