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短歌と洋楽和訳メインのブログで、海外ドラマ感想もあります

「一首鑑賞」-178

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

  1.  

  an october moon

       shining through the open blinds

  in my sacred room

  splits the floor with dark and light

  to which side do I belong?

  (Ron L. Zheng)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で黒瀬珂瀾が取り上げていました。

sunagoya.com

 もともとのページの表題作はこれではなく、

 

  twilight in L.A.

  golden shining reflections

  on asphalt pavement

  the city becomes holy

  everything forgiven

 

でした。これに心惹かれてページに入ったところ、冒頭の歌や他に1首紹介されていました。本当は写真とのコラボ作品とのことで、サイトのリンクが貼ってあったのですがもう見られないようです。検索するとFacebookも出てくるのですが更新止まってました。XとかInstagramで調べたら出てくるのかなあ。

 

 冒頭の歌は、直訳すると

 

10月の月

開いたブラインドを通って輝いている

私の神聖な部屋に

その床を闇と光に分断して

私はどちらの側に属するのだろう

 

となります。Open blindsは「全開のブラインド」ではなく、「隙間の空いた状態のブラインド」なんですね。黒瀬珂瀾

 

「十月の月/ブラインドを超えて/静かな部屋に注ぐ/床には光と影/僕はどちら側?」

 

と訳しています。この歌好きだな。

 解説が面白かったです。

 

僕の乏しい知見から見ても、現在の英語短歌は簡素な「俳句的表現」に接近しているように思うが、Ron L. Zhengの歌は逆に、濃厚な情念や抒情性をやや過剰にも思える口調で追い求める。

 

と書いてあります。黒瀬珂瀾は留学経験があるそうで、英語短歌にも詳しそうですが、英語のいわゆるshort poemと、俳句の英語版と、短歌の英語版って何が違うのだろうか。長さ?それとももっと観念的な部分なの?

 

 ここでは3首が引用されていますが、確かに五七五七七に応じるような5行詩で、3首中2首については明らかに1,3行が短いので、短歌の形式を意識しているのかなあと思わせます。鑑賞文ではtwilight in L.A.の歌の宗教的なバッググラウンドを読みつつ、

 

例えば、だ。「舗道(しきみち)を金の夕陽は走りゆき街は聖なる寛恕(ゆるし)に入る」なんて日本語短歌訳の一案をひねり出したとして、(訳の稚拙さはともかく)何かが決定的に違う。言うまでもなく、twilight、shining、pavement、forgivenなどの単語と、日本語の響きとの差がある。

 

と書いています。訳が稚拙だとは全く思いませんが、単純に「LA」という単語が落ちてしまうと「街の聖なるゆるし」のニュアンスが変わってしまう感じは確かに否めません。冒頭の歌でも、 in my sacred room の sacred はちょっと訳しにくいですね。

 

 好きな海外ドラマのスクリプトを読んだり洋楽和訳をしたりして感じるのは、やっぱり言葉って文化的背景に裏打ちされていて、それを知らなければ全てを読み切ることができないということです。同じ日本語であっても、例えば法廷で話される言葉、銀行で話される言葉、病院で話される言葉、高校で話される言葉は全然違っていて、文化が違うと意味の全ては理解できない。英語も、単純に和訳しているとスラング的表現の見落としや、固有名詞や単純な名詞が暗喩していることの意味の見落としがありますし、おそらく宗教的背景なんかはもっと読み切れないと思う。詩という形で言語的圧縮がかかると、さらにダブルミーニング(掛詞)や韻文なんかも使われたりするだろうし、ますます読むのが難しくなる感じがします。この作者は名前が中国系?ですが、ネイティブの言語は何語なんだろうなぁ。もともと多言語話者なんでしょうか。

 それでも、言葉は単にリズムを楽しむという楽しみ方もあるし、意味は理解できなくても何となく好きということはあるし、それにここで紹介されている歌はどれも、日本語のよく分からない短歌よりも分かりやすい表現ではあります。あと、これはもしかしたら日本語の文化圏にいる人だからなのかもしれませんが、確かに、感覚的に日本の短歌に近いような気はします。

 

 洋楽聴いてて、flawless とかperfectって表現によく出会うんですよね。「きみは僕にとって完璧な存在」みたいな意味合いで、きみの不完全さも僕にはぴったりだよ、みたいなニュアンスなんですが、いつも違和感があって。人間は誰も完璧ではありえないし、ある一瞬に「僕にとって完璧なきみ」と思ったとしても、それが死ぬまで続くわけじゃないはず。完璧でないものを慈しむのは日本的な「わびさび」的な発想なのかもしれないのですが。

 種田山頭火

 

まっすぐな道でさみしい

 

という俳句が、英語圏では最も人気がある俳句なんだそうです。その英訳は

 

Straight road, full of loneliness

 

なんですけど、ここでも「full of」なんだ、ってちょっとびっくりした。さみしさで満たされているわけです。この言語感覚の違いは埋めがたいなあって思いました。

 ですが、ここで紹介されている英語短歌は、full, perfect, flawless, completeという感じではなくて、欠けた自分を欠けたまま受け止めている感じがします。

 

 短歌の可能性と楽しみ方について色々考えながら読みました。

 

 英語五行詩にチャレンジしてみました。

 

 

darkness does not arrive

at the very moment of sunset

by the time I realized it,

I'd already been overtaken by a yellow bike

now I’m being left behind

(yuifall)