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「一首鑑賞」-131

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

131.全盛期でした、わたしの ね、あの日贈った鳥は燃やしましたか?

 (田村穂隆)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で井上法子が取り上げていました。

sunagoya.com

 この歌は東直子ワールドを感じさせますね。井上法子も鑑賞文に

 

そこでふたたび唐突に、「贈った鳥は燃やしましたか?」という、不可思議な問いかけの形で綴じられる物語。これは、

 

ママンあれはぼくの鳥だねママンママンぼくの落とした砂じゃないよね/東直子

 

を彷彿とさせられる、呼びかけと問いかけに畳みかけられるこわさを感じるでしょう。

 

と書いています。

 作者の背景が分からないのですが、影響があるんじゃないかなぁ。まあ、もしかしたら「若手」と呼ばれる人は多かれ少なかれ穂村弘東直子の影響を受けているのかもしれませんが。私は「ママン~」の歌の他、

 

好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ (東直子

 

を連想しました。まあ、単にこの歌が好きだからですけどね。

 

 あと、「全盛期でした、わたしの」という呼びかけから、森博嗣の小説を連想した。以下は『有限と微小のパン』からの引用です。

 

「人間のほとんどは馬鹿です。僕の試算では九十四パーセント。ただし、忘れないで下さい。馬鹿は、悪いことではない。低いことでもない。卑しいことでもありません。死んでいる人間は、生きている人間より馬鹿ですし、寝ている人間は、起きている人間より馬鹿です。止まっているエンジンは、回転しているエンジンよりも馬鹿です。それが馬鹿の概念です」

 

「ええ……、僕らは自転する地球に乗っているし、地球も、太陽系も、銀河系も動いています。だから、いくらでも大丈夫、どんな速度にも耐えられます。走っている光から見れば、僕らは光速で移動している。思考している人間から見ると、思考していない人間は馬鹿に見え、逆に、思考していない人間には、思考している人間が馬鹿に見えます」

 

 他にも、うろ覚えですが、「〇〇が天才だったのは〇才から〇才まで」みたいな記述があったような…。つまり人間には「天才」と「馬鹿」がいるわけじゃなく、一人の人間の時間経過の中に「天才的な状態」と「馬鹿な状態」があるのかな、って思った。この「全盛期でした、わたしの」は、わたしが「天才的な状態だった頃」みたいなことを咄嗟に考えました。まあ、一体なんの全盛期なのかは分かんないんですが。

 もしそれが「あの日」と直接的に連結するのなら、恋愛に関する何かなのかもしれない。全盛期で恋が燃え盛っていた頃(と読むのはかなり単純ですが)。その日に約束したのかも。「もしあなたの心が離れたら、この鳥は燃やしてほしい」。

 

 まあ、恋愛という読み方は安易なのでそうでなくてもいいんですが、「鳥」がいいなって思います。ここで「鳥」という生き物を選んでいることから、「火の鳥」あるいは「不死鳥」というものを連想しちゃうよね。この鳥は燃やされても死なないのかもしれない。灰から蘇り、また「全盛期」を迎えるのかもしれない。そんな風に思いました。

 

 

8万年死なないポプラ滅びゆくひとつの幹を方舟として (yuifall)