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「一首鑑賞」-117

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

117.子供より親が大事、と思ひたい。子供よりも、その親のはうが弱いのだ。

 (太宰治

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で都築直子が取り上げていました。

sunagoya.com

 短歌ではないのですけど、コラムの内容がすごく面白かったので。

 

 この言葉は、『桜桃』からの引用です。最初このコラムに出会った時『桜桃』を読んだことがなかったので、この言葉の真意がよく分かりませんでした。現代では「(幼い)子供より親が大事」と考える人はあまりいないでしょうが、当時の状況(儒教や家父長制の影響下でどうだったのか)はよく分からないし、しかも「(幼い)子供と親」なのか、「子供と(老いた)親」なのか、というのもよく分からない(ただし「子」ではなく「子供」と言っているので、幼い子供と思われる)。

 『桜桃』では、幼い子供たちを育てている夫婦の苦悩が夫の側から描かれます。夫は家事もせず、嫌なことがあると酒に逃げ、しかも「いつでも、自分の思っていることをハッキリ主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない。(女に酒飲みの少いのは、この理由からである)」などとのたまって自己弁護する始末。最後、夫婦喧嘩のさなか、子供の面倒を妻に投げた夫はまた酒を飲みに出かけます。

 

子供より親が大事、と思ひたい。子供よりも、その親のはうが弱いのだ。

桜桃が出た。

私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかも知れない。食べさせたら、よろこぶだらう。父が持つて 帰つたら、よろこぶだらう。蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚(さんご)の首飾のやうに見えるだらう。

しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまづさうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、さうして、心の中で虚勢みたいに呟(つ ぶや)く言葉は、子供よりも親が大事。

 

 この「(父)親」は、確かに「強い」男ではないです。子供の面倒を見て気にかけ、だからこそ心に鬱屈を抱え、耐えきれず酒に逃げ、桜桃を食べながら自己弁護に走る。家長たるもの家事育児は妻に投げて当然、桜桃を一人で食べて当然という態度ではなく、葛藤が見えます。本当ならば子供に食べさせるべきだろう、妻のもとへ戻るべきだろうと。

 ここでは一般論として「子供より親が大事」「子供より親が弱い」と言っているわけではないと思う。なぜなら、この小説では夫婦を描いていながら、弱く大事にされるべきと言い張るのは父親である“私”だけだからです。つまりこの言葉は、(いかなる社会通念に背こうとも)「弱い“私”が大切である」というエゴの言葉であると思われます。

 

 鑑賞文では、「俳句と短歌」「本歌取り」という2点について書かれています。この言葉には俳句や短歌作品に多数の本歌取りがあるそうです。最初に

 

国家よりワタクシ大事さくらん (摂津幸彦)

 

が引用されます(「さくらんぼ」は「桜桃」ですね)。

 

次に

 

<世界より私が大事> 簡潔にただ率直に本音を言えば (道浦母都子

 

が引用されます。ここで面白かったのは都築直子の鑑賞文です。

 

俳句の方が断然いいと思った。「国家よりワタクシ大事」。いうべきことはこれであり、これに尽きる。余った5音に、季語を入れて終わり。対して短歌は、19音も余ったばかりに、余計なことをいっている。「簡潔にただ率直に本音を言えば」と、くどくど言い訳する。そんなことをいわなくても、<世界より私が大事>が、簡潔で率直な本音そのものではないか。端的な俳句。冗長な短歌。短歌って情けないなあと、がっがりした。そして、がっかりする自分におどろいた。

私は短歌の側からものを考えている。

それまで、自分は試しに短歌を作りだしたけれど、スタンスはあくまで俳句からも短歌からも等距離、のつもりだった。なのに、こうして短歌に肩入れしている。

<世界より私が大事>の歌は、私にとって、自分が短歌の人になったことを気づかせてくれる記念すべき一首となったのである。

 

 最近、俳句をいくつか作ってみる機会があったのですが、なんていうかすっごく難しかったです。「もっといい言葉があるんじゃないか」「この言い回しはスマートでない」「絶対にこの言葉を入れたかったが、むしろ邪魔ではないか」といった葛藤が短歌よりもはるかに強く、なかなか言葉が決まりません。私は言葉を断ち切ることが苦手なんだなと思いました。だから散文を書くとこのように長くなってしまい、短歌の定型が心地よいと思う一方で、俳句までは割り切れないのかなと。

 そういう意味で自分自身は明らかに短歌と俳句への距離は等距離ではなく、だけどそれは短歌に肩入れしているというわけではなくて俳句を天を仰ぐように見ています。だから、この2作品だったら俳句の方が断然いいと私も思いますが、やっぱり「俳句作れる人ってすごいな」くらいの浅い感想になってしまう。。

 

 その後にさらに三首が引用されます。

 

「子供より親が大事、と思ひたい」さう、子機よりも親機が大事 (小池光)

 

地球より日本が大事、日本よりわが身が大事、爪の先まで (高野公彦)

 

原発より子どもが大事、という声に声合わせつつむすめを思う (吉川宏志

 

 この中で小池光の作品だけ、ちょっと毛色が違います。

 もともとの太宰の言葉は、子供よりも親が弱いから親の方が大事と思いたい、と書いていますが、子供よりも親が弱いという根拠や、弱いものの方が強いものよりも大事という結論を支持する根拠に欠ける発言です。多分ここで言っているのは、上にも書きましたが、いかなる理屈や社会通念があろうとも、「弱い“私”が大事」である、ということだと思う。だからこそ、「国家よりワタクシ」「世界より私」「地球より我が身」「原発より子ども(自分のむすめ)」と「“弱い”方が大事」、かつ「“私”が一番大事」という本歌取りが成立するんだろうと。

 

 一方、小池光の作品は、「子機」「親機」だから、固定電話のことでしょうか。これはどちらかというとユーモアの歌なのかなと思って読みました。一本取られた!みたいな。もっと深読みすると、「機械だったらそりゃそうですよね(「子機」作ってるの「親機」じゃないし)」みたいな皮肉の意図に感じないこともないです。

 また、親と子の関係の非対称性として、「親がいなければ子はいない」という点もあげられます。小池光の「親機と子機」はその点を強調したジョークに思えます。そういう意味では、「世界より私が大事」「地球よりわが身が大事」は元の太宰の言葉とは構造が完全に逆転しているとも言えます。「国家とワタクシ」「原発と子ども」はこの構造には単純には当てはまりませんが…。

 

 短歌と俳句の比較という点で考えれば、勝手な読み方ですが、小池光はユーモア、高野公彦は皮肉あるいは真逆の意図、吉川宏志は社会詠に情緒を加えた、という意味で、俳句の内容から一歩踏み込んでいるのかなと。でも、

 

摂津作品と手合せしたらどうなるか、判者はあなただ。

 

とありますが、俳句と戦って勝つかどうかって言われるとよく分からん。

 

国家よりワタクシ大事さくらん (摂津幸彦)

 

はもうこれで完璧な感じがします。だからこそ、俳句は完璧を目指す、短歌はヴァリエーションを目指す、という方向性の違いがあるのではないかなぁ。まあその辺を突き詰めてしまうとやっぱり俳句は「滅私」、短歌は「私」の文学形式、というあたりに行きつくのかもしれません。

 

 とまあ、ここまで「鑑賞者」側として書いてきましたが、実際に自分も本歌取りしてみようか、という立場で考えた時、「国家よりワタクシ」「世界より私」「地球より我が身」「原発より子ども」はいずれも、やっぱり「子供より親が大事」には敵わないなと思いました。果たして自分は、幼い「子供」よりも「親」である成人の“私”の方が「大事」だと主張できるだろうか?

 「子供より親が大事」以外のどの言葉も、仮に本心でなかったとしても口に出したり言葉に書いたりすることに躊躇いはそれほどありません。実際、1977年の日航ハイジャック事件の時に当時の福田首相が呟いた「人の生命は地球よりも重い」との発言は有名ですし、あるいは敗戦直後の新憲法のもとで死刑の是非が争点となった最高裁判決の冒頭部分にも「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い」と述べられているそうです(被告人はこの時死刑が確定しています)。読んだことはないのですが、この文言は『西国立志編』(中村正直著)の序文からの引用であると判決文を書いた真野毅判事は言っているそうです。実際には地球がなければ自分もない、あるいは地球には無数の生命がある、ということを考えると矛盾に満ちた発言ですが、日本人的な感覚として理解は不可能ではないし、口に出して言うことにも抵抗は少ないのではないだろうか。

 でも、「子供より親が大事」はなかなか言えない。これはほとんど踏み絵に近い感覚で、踏むことで信仰は傷つけられないと知っていたとしても踏めない、というか。例えば地球を守るために自分自身であれば差し出せる人も、じゃあ自分の子供を差し出せと言われたら差し出せるだろうか。

 

 そう考えると、「子供より親が大事」という命題に対して真正面に立ち向かい、「子機よりも親機」というユーモアで切り返した小池光の歌が私の中では優勝かな、って思いました。(「親機」「子機」という言葉が時代とともに通じなくなってくるという問題はあるのかもしれませんが…。)

 

 今回、「him」というテーマで俳句と短歌を両方作ってみました。

 

 

HIMよりもhimが大切虹の旗 (yuifall)

XよりYが大事と思いたい、彼でなければ神でないのだ (yuifall)