「一首鑑賞」の注意書きです。
21.まっさきに夏野原きて投げキッスの飛距離を伸ばす練習をする
(工藤玲音)
工藤玲音の歌は前から好きだったのですが今まで取り上げる機会がなく、今回(敬称略ですみませんが)東郷雄二の『橄欖追放』の記事を読んで、そこからいくつか引こうと思います。
工藤玲音って、まず名前がいいですよね!本名だということに驚きます。1994年生まれでまだ20代の歌人です。この歌、一度読んですぐ好きになりました。若さがほとばしっててそのうえめっちゃかわいい♡解説に
二首目、東北地方の夏は短い。短い夏に野原に来て、投げキッスの練習をするというところに圧倒的な若さがある。
と書かれています。岩手県の人だとか。
投げキッスって、相手なしでは届いたかどうかわからないし、もしかするとその「夏野原」に好きな人がいるのかもしれないなって思いました。主人公は中学生とか高校生とかで、好きな人が夏野原でなんか野球の練習とかしてて(よく河原でキャッチボールとかしてる学生がいるからそのイメージですけど、「野原」なのでサッカーとかバドミントンとかでもいいのかも)、遠くから見ていて、投げキッス飛ばすの。で、どのくらい離れていても振り向いてくれるかなって。
しかしこの場合は相手は恋人なのですかね?片思いの相手に投げキッス飛ばす練習はちょっと躊躇われますね(笑)。
まー、一人でしていると考えるのが自然なのかもしれないけど、一人って考えるとさー、そもそも野原で投げキッスの練習なんかしねーだろって我に返っちゃうし(笑)、やっぱり恋人を遠くから見ている説を推したい私です。
俳句も紹介されていて、
洗顔のたび濡れなおす夏の嘘
なんて好きですね。
「洗顔のたび濡れなおす」ってことは、「夏の嘘」は顔、もしくは手にあるのでしょうか。あえて「洗顔」としたからには「顔」と考えるのが自然な気がする。最初、「嘘」っていう言葉からお化粧?って思ったんですけど、お化粧を「濡れなおす」っていうのはやっぱり変ですよね。「顔」のどこかに嘘がのっていると考えるよりも、もっと精神的ななにかと考えた方がいいのかなー。
話は逸れますけど、短歌も俳句も作れる人ってどういう考え方をしているのかすごく気になります。もちろん俳句には季語縛りがあるのでそういう意味では違いますけど、一句できたらこの後に七七をつけて短歌にしちゃいたいと思わないのかな?逆に、短歌は長すぎるってならないのかな?不思議です。私は俳句は作れないので、工藤玲音は短歌も俳句もエッセイも(小説も?)上手だって知ってほんとすごいなーって思いました。(「ほんとすごいなー」ってあまりの馬鹿っぽさに悲しくなるわ…)
モルフォ、青、夏、燃えやすい、セルロイド、ブランコを漕ぐだけの革命 (yuifall)