百人一首現代語訳 感想の注意書きです。
四十・忍れど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
拾遺和歌集 巻一一・恋一・六二二 詞書「天暦御時の歌合」 平兼盛
隠してきたのだけれど顔色に出てしまった。
「恋しているのか?」と人が問いかけるほどに。
「恋をしているだろう?」
そう聞かれた
秘密の恋
しまっておいた恋なのに
顔色に出てしまったのか
(さ・え・ら書房 『口語訳詩で味わう百人一首』 佐佐木幸綱)
隠しても 顔に出ちゃった 僕の恋
「なにかあるの?」と 人が聞くもの
ひとといるまひる わたしの水だけがルビーの色に変わる いつから (佐藤弓生)
この歌の佐藤弓生の解説が面白かったです。
ガルシア=マルケスの小説「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」では、恋する若者がガラスのコップや瓶に触れるとその色が青く変わり、感づいた母親に「相手は誰なの?」と問われる。恋は色そのものより、色の変化で喩えられるべきかもしれない。
そしてその「色の変化」を「青」ではなくて「ルビーの色」、つまり「赤」に喩えたのがうまいなって思いました。ルビーはサファイアと同じコランダムですが、コランダムの中で赤、つまり「血の色」だけがルビーです。しかも最高のルビーはピジョン・ブラッドであり、むしろやや昏い深紅です。誰かといて、自分のコップの水だけが色が変わったら、気が遠くなりますね…。でもそういう疎外感って、なんとなくわかるような気もします。
このような「忍ぶ恋」の歌読んでると、一体誰がそんな秘めた恋に気づくんだろうなーといつも思う。誰かが忍ぶ恋をしているなんて気づくもの?忍んでいると思っているのは本人だけであって実はバレバレなのか、もしくは当時の貴族は他に大してすることがなく恋愛脳すぎてゴシップ女子並みに興味津々すぎるのか、それとも気付くのはやっぱりこの人の妻とかそういう関係の相手なのか、と考えました。
現代だったら、気づくのは不特定多数の誰かではなくてこの人に思いを寄せている誰かなのではないか、もしくはこの人には実は妻か恋人がいて、忍んでいるのは不倫の恋なのかなって思いました。こっそりアプリでやり取りしたりしていても、ちょっとした雰囲気の違いで「彼、恋してるんだわ」って気づくとしたら、そばにいる女性かなって。
それにしてもこの佐藤弓生の歌好きです。「いつから」がたまりませんね。
テキストを読む色付きの微笑みが囁く恋に傷つけられる (yuifall)