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「一首鑑賞」-94

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

94.五行削れといわれ結局削りしはやはり個人的思い入れ部分

 (小川太郎)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で生沼義朗が紹介していた歌です。

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 思わず足を止めてしまう感じの歌です。多分、創作に少しでもかかわったことがある人だったら「ああ、分かる」ってなるんじゃないかなぁ。私は二次創作ばっかりしているオタクですが、二次創作って基本的に自分の個人的な思い入れオンリーで成り立っているとはいえ、それでもやはり「ここは蛇足だよなー」って思う部分は常に明らかな「個人的思い入れ部分」です。冷静に編集する立場なら消しますが、壁打ちオン専二次なので消さないでそのまま出しちゃいますけど…。一次創作だったら必ず他人の目を通した方がいいんだろうなって思うのはこういうところです。

 

 鑑賞文には

 

掲出歌は「編集・原稿整理」の項目に収められているもの。この項目に収められている小川の歌はこの作品のみなので、どのような文章を書いていたのかははっきりしない。背景によって歌のニュアンスが微妙に変わる可能性はあるが、意味内容ははっきりしていて、編集者か上司から5行を削れと指示されてあれこれと悩んだが結局は個人的な思い入れを込めた部分を削ったということだ。「結局」にある程度以上の時間や思考の逡巡があったことが窺え、個人的な思い入れがあるから忸怩たる思いはあるが、「やはり」にこれはやむを得ないという客観的な判断も滲む。

 

とあります。鑑賞文の中にはこの人の詳しいプロフィールや仕事内容なども記されており、どのような文章なのかを想像しながら読みました。「やっぱり指摘されたか」あるいは「やっぱりこれは個人的な思い入れであって文章の流れからは不要であったか」と思いながら、結局この五行は削られたのだろうなと。

 

 話は変わりますが宮沢賢治ってすごく推敲を何度も何度もする人だったようで、一つの童話や詩にいろんなバージョンの原稿があるそうなんです。当然手書きだから、もとの文章に線を引いて横に新たな文章が書いてあったりとか。研究者はそういうものも含めて、推敲前の原稿も楽しんでいるんだそうです。それをふと思い出して、この人の「五行」は、今でも読むことのできる形で残っているのか、それとも永遠に削除されてしまったのか、と考えます。

 おそらく、「作品」の中においては不要なのかもしれないその「五行」は、家族とか遺された人、あるいは後の世の「小川太郎研究者」みたいな人にとっては、その「個人的な思い入れ」こそが読みたい部分だったかもしれないな、と。そんな風に思いました。だから、どこかに残っていればいいなと。

 

 

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