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「一首鑑賞」-93

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

93.おーい列曲がつてゐる、と言ひかけて 眼(まなこ)閉ぢれば春の日はさす

 (小池光)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で澤村斉美が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 小池光は三十一年間教職にいたそうです。仙台市文学館の館長、というイメージがあったのですが、調べると理学部卒で理学修士号を持っており、高校理科の先生だったとか。これは驚きです。私は不勉強にも歌集もご本人の著作等も読んだことはないのですが、色々な短歌作品や解説などでたびたび名前や作風、発言に触れていて、何となく文学に真面目に向き合う厳しい人というイメージが強かったので、理系学部出身であることに驚き、天は二物を与えずって嘘だよなーってつくづく思いました。才能のある人、というか、才能があって自分に厳しい人って様々な分野で頭角を現すんですね。

 

 先生としても厳しかったんだろうか。それとも、そうでもなかったのかな。厳しかったと考えた方がこの歌はぐっときます。自分を厳しく律し、生徒も厳しく指導してきた先生が、退職を前に、列を整えることからふと意識を逸らした瞬間にさす春の日。きっとこの「春の日」は卒業式ではないかと思いましたが、鑑賞文を読むと、「最後の終業式」という連作の一首のようです。ということは、最後につとめた担任の学年が3年生ではなかったということかもしれません。そういえば終業式は卒業式の後ですもんね。

 最初読んだ時、外なのかと思ったのですが、終業式なのでおそらくは体育館の中でしょう。だからこの「春の日」は体育館の窓越しに射した日の光なのか、それとも閉じたまなこの裏にさす幻の光なのか、どっちなんだろうな。どちらでもあるのかな、という気がします。

 ある晴れた春の終業式の日。体育館に整列させた自分の担任のクラスの列が曲がっていて、それを直そうとするんだけど、その瞬間に、あ、これを言うのももう最後なんだ、と思う。思わず目を閉じると、低いざわめきの中、現実から切り離されてふっと春の日の中にたたずんでいるように感じる。この時、この「春の日」は、自分が赴任してきた三十一年前の「春の日」だったかもしれません。まだ、「おーい列曲がってるぞ」なんて言えなかった、担任を持つ前の若い自分が見ていた春の日の光。

 

 子供の頃(高校まで)、先生も同じ人間だって本当の意味では分かっていなかったと思います。きっとそれが子供の傲慢で、でも特別なことなんだろう。今でもやっぱりあの頃の先生は「先生」だし、先輩は「先輩」で、社会人になってから出会った年上の人とは違います。歌人で先生の人ってときどきいますけど、この人が高校の時「先生」だったらもっと歌が身近だったかもなぁ、って思ったりすることもあります(千葉聡とか)。若い頃に出会う「先生」の影響は大きいですよね。

 

 

小さくは今も見えない十代を呑んで学舎の花冷えの午後 (yuifall)

 

 

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