「一首鑑賞」の注意書きです。
37.殺という字の書き始めのばつてんが怖いと言つたきみだけ信じる
(結樹双葉)
砂子屋書房「一首鑑賞」で前田康子が紹介していた
地球ごと電源が落ち液晶といふ液晶が鏡に変はる (結樹双葉)
のページに載っていた、同じ作者の違う歌です。
もちろん表題歌にも心惹かれたからクリックしたのですが、「殺という字の」の方の歌が気になって。
瀧波ユカリの何かの漫画(多分『臨死!江古田ちゃん』だと思うけど…)の、漫画本編ではないコラムみたいな欄に、
「カレイの煮付けを作る時に味を染み込ませるために×の切れ込みを入れるけど、見るたびに悲しくなる。〇ではだめなのか」
みたいなことが書いてあって(うろ覚えです。すみません)、なんかそれのこと思い出しました。なんで殺もカレイも×なんでしょうね。カレイの方は、包丁で〇を入れるのは大変だからだと思いますが…。
「殺」の方はググってみると
・「メ(刈りとる)+朮(もちあわ)+殳(動詞の記号)」で、もちあわの穂を刈りとり、その実をそぎとることを示す という説
・「猪(いのしし)などの獣」の象形と「手に木の杖を持つ」象形から「ころす・いけにえ」を意味する という説
などがあり、実態ははっきりしないようです(複数のサイトを見ましたが、主な引用元は下記)。
つまりあのばってんがなんなのかというと、「刈り取る」説が有力ですかね。分かってみるとそれほど怖さはありませんね。それとも、そこを語源として生き物をあやめるというところへ漢字の用途が変わってきたところに怖さがあるのかな。
それにしても「殺という字の書き始めのばってんが怖い」という「きみ」なんて、現実にいたら相当うざいですが、詩にされて「きみだけ信じる」と言われるとピュアな感じが眩しすぎます。なんだろうこれは。短歌のそういうところ好きです。
たいていは〇でも×でもないはずさねえスナフキンほらそこに冬 (yuifall)