「一首鑑賞」の注意書きです。
6.はい、恋に捨ててもいいと思ふ命すてずに今も持つてをります
(三輪良子)
「はい」で始まる有名な歌、何かあったような気がする…と思いながら思い出せずにもやもやしていたのですが、
はい、あたし生まれ変わったら君になりたいくらいに君が好きです。 (岡崎裕美子)
でした。こういう歌を読むと、未だに納得していないながらも「短歌の自己肯定性」という言葉を思い出してしまいます。「はい」。俳句でこういうのあるのかな。
最近百人一首を読んだりしてたので、こういう「恋に命を捨てる」系の歌いっぱいあったなーってぼんやり読んでいましたが、佐藤弓生によれば、この歌は歌集の中で
五十五歳の日に飾りたるむらさきの石冷えびえと首を温む
ジャンプ傘ザバッと開き帰りゆく相づちを打ちすぎたる夕べ
という二首に続いて登場するらしく、まず今現在が恋愛の絶頂でもなんでもなさそうだ、と思い、なんかほっこりしました。五十五歳まで生きたし、多分この先も生きるのだろう。でも「恋に捨ててもいいとかつては思っていた」じゃなくて、「恋に捨ててもいいと思う」と今現在形で語っていることに、すごくときめきます。
百人一首の時代の恋の歌って本当に命懸け系で、今の感覚で読むとけっこうしらけてしまうので、当時の状況になるべく気持ちを寄り添わせながら読むようにしていて。(女性バージョンだと)通い婚だったこと、通ってもらわなければ会えなかったこと、疫病や盗賊などもいて、夜は暗いし道も悪いし出歩くこと自体が圧倒的に危険だったこと、貴族は子育ても自分でしないから、本当に夫を待つ以外にほとんどすることがなかっただろうこと、などなど、その状況で、男性からの手紙を待ち、訪れを待ち、そっかこの状況だったらあなたの腕の中にいる今死んでしまいたい、とか思うよなーって気分を盛り上げてさぁ。
ですが、この歌を読んだ時、ぱっと見の印象でまず頭に浮かんだのがおばあちゃんだったんですよね。実在のおばあちゃんとかじゃなくて、概念的な、もう80代くらいの。で、にこにこ笑いながら、「はいはい、そうね、今も捨てずに持っております」って。おじいちゃんはもう死んじゃっていないの。だから、もしかしたら、このおばあちゃんが亡くなったとき、ああ、恋に死んだんだな、って思うかもしれない。それっていいなってちょっと思いました。
私もばあさんになったら、「永遠に愛してる」とか「死ぬまで一緒よ」とか「恋に命をかけるわ」とか、言いたい放題やってみたいなー(笑)。残された寿命を考えるとリアリティすごいですし。そんな意味の歌じゃないけど、勝手にそんなこと思いました。
6700回目で初めてキスしたねだけど一度も撃てなかったわ (yuifall)