百人一首現代語訳 感想の注意書きです。
八十九・玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
新古今和歌集 巻一一・恋一・一〇三四 詞書「百首歌の中に、忍ぶる恋を」 式子内親王
この命を終わるなら終わってしまえ。このまま生きながらえると、耐え忍ぶ心が弱くなってしまう。
たえだえの
玉の緒よ
たえよたえよ
耐える心の緊張に
私はもう息絶えるばかり
(さ・え・ら書房 『口語訳詩で味わう百人一首』 佐佐木幸綱)
ネックレス 切れてもいいのよ このままじゃ
心もそのうち はじけて消えそう
死にたいよ、いっそ死にたい指先は闇にまぎれて夜をさまよう (東直子)
これはもともと「忍ぶる恋を」と詞書にある通り、題詠です。この式子内親王は十代の初めに賀茂神社の神に仕える齋院となり、病気療養のためにやめるまでそのままだった、という、「恋とは無縁の女性」であったとされています。
しかしこの歌を読むと、本当に恋をしたことがなかったのだろうか、って考えてしまいますね。何度も書いている通り、もちろん、架空のシチュエーションで詠まれた歌が私はすごく好きではあるのですが、齋院である運命の女性が詠った「耐え忍ぶのは辛いからもう死んでしまいたい」って歌を読むと、もしかしたら秘めた恋があったのでは…って思っちゃいます。
東直子の歌は、現代の「忍ぶ心」に触れています。
忍ぶることの弱りがちな真夜中、一時の気の迷いが指先に伝わりアップロードした言葉は、世界中からアクセスされてしまう。なんと恐ろしいことであろうか。
とあります。まあ、我々一般人が夜中に痛いポエムをアップして恋心がばれたところで一時の恥で済みますが、内親王や有名人の「忍ぶ恋」だったらそうはいかないですよね。
あとは「恐ろしい」のはどっちかというと恋心が滲み出ることよりも若気の至りの愚行が流出することでしょうか…。若い頃愚行をおかさない人はおそらくいないと思われますが、インターネット上で一生残るというのは怖すぎますね。最近の炎上事件の数々、こんな時代を生きる子供たちは大変だなと思ってしまった。愚行の程度はともかくとして、若くてバカだった頃にやらかしたことが一生傷として残るっていうのは残酷だなあと。
忍ぶなら忍んでほしい インスタに写り込んでる影ふたりぶん (yuifall)
本当は全部紹介したいくらいですが、やっぱりちょっと躊躇われるのでこのくらいで…。どの本もおすすめです。