山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
松原未知子
願はくは白波かろくドレスを擦れど黒髪ならし履く鋼
イタリアできのふ狂(たぶ)れし男のことを知れ、葡萄の樹でありたい
全部回文らしいです。すげー!ちなみに歌集タイトルも『戀人(ラバー)のあばら』と回文だそうです。回文で短歌作れるってどれだけだよ(笑)。言葉で徹底的に遊べるってすごいなぁ。とはいえここまでくると鬼気迫るものを感じるなー、と思ってたら、解説にも
しかしそれ以上に言葉で「遊ぶ」ことへの狂気じみた強迫観念すら感じさせることがしばしばある。「遊ぶ」ことはもはやゆとりある部分ではなく、「生きる」ことと同義となっているのではないかと思えてくる。
と書かれておりました。いや、やっぱ、回文で短歌とかちょっと尋常ならざる感じですよね。
塵芥浮く大川に身を映し芥川立つアクターとして
太陽は核融合の大釜のぐらぐらとわがガイアくらくら
こういうあたりはまだ分からなくもない。駄洒落っていうか、短歌と狂歌の間みたいな。まだ楽しそうですよね。解説では、
外国の文化などを自在に引用しながら、メタファーと詩的飛躍の世界のなかでも遊んでいる。文学、映画、音楽、スポーツと本当にさまざまなジャンルから引用はなされている。(中略)日本人としての自らのアイデンティティを探る旅として、限界まで日本語を遊び倒そうとしている。
とあります。
異国ではことばは沈(しづ)くものならず〈君〉と〈吾〉とを架橋するもの
このうた、「異国」とはどの国の言葉をイメージしているんだろうな。そして日本語は「沈(しづ)く」ものだということなんだろうか。脚韻を踏んだ歌も多いらしく、外国語のポップスなどに対する脚韻への憧憬を語っているそうです。
ここしばらく洋楽の和訳とかしてて、何気ない歌詞のように見えて韻を踏んでる歌って多いんだなーと感じてます。日本語だとあえて「ラップ」みたいな形じゃないと韻を踏むってあまりないけど、英語の歌ってどこかしら脚韻が入ってて、ポップスレベルで浸透してる文化なんだなーと。日本語でいうとなんだろうな。松原未知子はそれは五七調なのかもしれないと語っているそうなのですが、J-popで五七調の歌ってないしなー。それでも未だに標語っていうと五七五だから、ポップスレベルで浸透していると言えなくもないのでしょうか。
以前も脚韻を意識した英語の短歌?みたいなの作ったことあったのですが、今回も作ってみた。
I bet you regret letting me upset
You dead set on playing roulette
Juliet, I sent you the scarlet sunset (yuifall)
(ジュリエット、きみに捧げた夕焼けのレッドに賭けてほしかったけど)