山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
樋口智子
振り向いて「あたしたち」っていう日々のひどく眩しい坂道を見る
この歌から、恋人ではなくて友人を連想したのは加藤千恵の
3人で傘もささずに歩いてるいつかばらけることを知ってる
をとっさに思い浮かべたからです。北海道出身の女性っていうプロフィールからの先入観もあるのかもしれないけど…。なんの疑問もなく「あたしたち」は私と女友達だ、って読んでて、後から、普通に考えたら、もしかして相聞歌なのかな?ってはっとしました。
でも、「あたし」っていう言葉の使い方の幼さとか、「ひどく眩しい坂道」からは、やっぱり青春の友情が連想されます。大人になるにつれて失われてしまう眩しいきらめき。この「坂道」は、上ってきたんだろうか、それとも下ってきたんだろうか。振り向いたとき見えるのは山なのか、谷なのか、って思いました。
しろつめくさのはらっぱ割ってけもの道たどれば何処に還れるだろう
これなんかは、やっぱり「北海道」という土地からの連想なのかノスタルジックな感じがします。第一歌集のタイトルは「つきさっぷ」だそうです。
この街に画家が記した「のろまなポプラ」のろまなポプラは楽しき呪文
ススキノは薄野である 真昼間を図書館行きの電車が出ます
などの北海道をテーマにした歌も多数引用されており(このブログの山田航氏も北海道の方ですね)、不思議なんですけど、北海道って全然住んだことないのになんか懐かしい感じがしました。もしかしたらあの広大な大地への帰属感みたいなものなんでしょうか。
ちなみにこの「のろまなポプラ」の元ネタは三岸好太郎、とあったのでググってみたのですが、「北大のポプラ並木」という作品のこと?「のろま」っていうのは何なんだろう…。解説では樋口の描く世界も絵画的といえる部分がある、と書いていますが、眼科勤務だそうです。
生き死にに関わらぬと言うは易しあの傷だらけの白杖を見よ
勤め先の病院をテーマにした歌の中で、一番どきっとしたのがこの歌です。「目の病気じゃ死なない」なんて簡単に言うのは簡単だけど…、って、すごく怖くなりました。
そういえば、知り合いで画像診断をしているお医者さんがいるのですが、その人は「自分は目で仕事をしている。目が見えなくなったらもう終わりだ。だから、目が不自由な人の支援団体に毎年必ず寄付をしている」と言っていました。よく考えてみると、目が見えないとできない仕事ってたくさんあります。目が見えるってありがたいことですよね。解説には、
「目」に着目した歌の多さや、「目」に頼らず身体全体で世界を感じようとする志向の歌が多いのも、そこに由来する。目で見える世界はやはりこの世界のほんの一部でしかないのかもしれない。ちょっと目を閉じてみるだけで、世界はいっきに不思議なものに変わっていくのかもしれない。
とありました。
こんなにもしつこいデジャブ前世でも同じキーボードを拭いていた (yuifall)