山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
酒向明美
添ひ遂ぐと決めたんだからアモルファスのきらめきでいい決めたんだから
第一歌集のタイトルは「ヘスティアの辺で」だそうです。解説には
「ヘスティア」とはギリシャ神話のかまどの女神である。「ほかの女神たちのようにはなばなしい神話はないのですが、彼女をとても好ましく感じるのは、ひとつの場所にとどまるという生き方に、迷いのない叡智をみるからでしょうか。」とあとがきには記されている。
とあります。「添い遂ぐと決めた」と「ひとつの場所にとどまる」ことへの決意を詠う一方、
つまるところ誰のものでもないわたし攻略されざる城郭をもつ
とも詠んでいます。ページを読み進めると、
そしてそのとどまる「場所」とは地理的なものではなく、「私自身」という位相としての「場所」のようである。自分のなかにある決して揺らがない「定点」を求め続ける心が、歌へと向かわせているような気配を感じる。
とあり、「誰か」のもとにとどまるというよりも、自分自身の中の「定点」を求め続ける心だ、と解説されています。「誰のものでもないわたし」が「添い遂ぐと決めた」ことが大事なんですね。
現実の家族のことかは分からないのですが、
夫は赴任地子は受験地に発つ朝のガーデン・ウォークに一陣の風
自分だけのためにさし出す白き乳房あるを信じて流離(さすら)ふ男の子は
と、「夫」や「息子」の存在がうかがわれ、いずれも「さすらう」存在として描写されます。
屋根裏に狂へる妻を匿しもつ男の告白 月の夜の園
こんな歌もありますが、この「男」は何者なんでしょうね。「月」は狂気の象徴でしょうか。
聞くときにはるか彼方を見すゑゐる母は月世界の人やも知れず
月の裏がはに視線を投げてゐたやうなひとだつたもの月に還つただけ
このような「母への挽歌」を読むと、もしかすると「屋根裏に狂へる妻を匿しもつ男」は「母の夫」、つまり父なのではないかというような気がしてきます。
こうして読むと、引用歌の多くが家族に関するものなのですが、それでいて所帯じみた感じはありません。ギリシャ神話や月などのモチーフが用いられるからでしょうか。解説には
「人間はどこから来て、どこへ行くのか」という問題意識が、歌集のなかを通り続けている。そしてその糸口を「かまど」、すなわち家族の日々の暮らしのなかから見つけ出そうとしている。ある意味で、「ヘスティア」は酒向自身なのかもしれない。
とありました。
「月世界の人」である母や「さすらう」夫や息子を持ち、「ひとつの場所(家庭)にとどまる生き方に迷いのない叡智をみる」というのは、平凡な言い方ですが、強いな、と思いました。
〈女は大地〉かかる矜持のつまらなさ昼さくら湯はさやさやと澄み (米川千嘉子)
という歌、すごく好きですが、でも<女は大地>って人に押し付けられるのはつまらなくても、「女は」というか「私はここにいる」というゆるぎない矜持を持つのは悪くないなって感じました。
目の前で遮断機がもし下りたって諦めないよドラマじゃないし (yuifall)