山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
古谷智子
泳ぎゆく君は視界を遠ざかりつひに見知らぬ男の背
この人のプロフィールを見ると、
1944年生まれ。青山学院大学文学部卒業。1975年に中部短歌会に入会し、春日井建、稲葉京子に師事。1984年の第30回角川短歌賞で「神の痛みの神学のオブリガード」で次席となり、1985年に同タイトルの第1歌集を出版した。
とあるので、短歌を始めたのは30代の頃、歌集出版は40代の頃のようです。歌も「少年」が登場するものが多く紹介されています。解説に
この歌集の特徴として、水泳と陸上競技の歌があることが挙げられる。水泳は古谷自身の実際の趣味らしく、また「少年」と強く結びついている陸上競技は息子がやっていたものなのかもしれない。
とあります。ということは、この「君」「見知らぬ男の背」は息子のものなのか。実際にはこの「少年」が息子かどうか、というのは分からないので、息子なのかもしれないし、何らかの象徴的な意味合いでの「少年」なのかもしれませんが。
地球儀を運ぶ少年 紺碧の海を頭上に掲げつつゆく
円錐曲線試論少年パスカルの孤心するどく研がれしならむ
こういう歌はあんまり実在の子供という感じは受けないですね。でも
スパートパートナーとなりくれし子の渾身のかりそめならぬ速力を追ふ
を読むと、自分の実際の子供、と読むのが自然に思えます。
それにしても、実在の息子だとして、子供を見守っている沢山の保護者の中に、こういう歌人とか詩人がいるんだなぁって考えるとどきどきしますね。
モデルハウスの扉(ひ)を鎖(さ)し出づるこの街の真偽おぼろに暮れそめむとす
この人は家を買いに来る人々への興味からモデルハウスの説明員になったそうです。すごいな!そのピュアな動機がたまらないです。本当に面白いなー。こうやって色んな歌人の歌を読んでいると、いろんな人生があっていろんな人がいろんなことを感じながら生きてるんだなぁってしみじみします。
古谷にとって「少年」と「都市」は鏡合わせの存在なのかもしれない。どんなに追いかけても届かない領域を持った愛しき他者としての「都市」。
と解説されています。息子はいつか「見知らぬ男」になっていくんだね。でもそれこそが母の願いであるはずだとも思います。
きみの目に映る土筆は大きくてワンダーランドに住んでたのにね (yuifall)