『短歌パラダイス』感想の注意書きおよび歌合一日目、二日目のルールはこちらです。
6番目の題は「恋」。「恋」という文字は入れなくてもよく、恋の雰囲気を演出せよとのこと。
「今日トテモ楽シカッタ」といふ声の 過ぎにし山の樹のみきの声 (奥村晃作)
ぐるぐるのあなたの眼鏡 漢字みたいな花びら花びらみたいな漢字 (杉山美紀)
お互いに相手のことを詠んでいる体のようです。
奥村の歌には「過ぎ 山 みき」と相手の名前が詠みこんであり、面白いなと思いました。最初の「今日トテモ楽シカッタ」は、樹のみきとの会話だからこういう言い方になるのかなぁと。
でも意味を取ろうとすると難しくてよく分かりません(笑)。「過ぎにし山」ってことは、もしかすると「思い出の山」なのかなと感じました。ふるさとの山のことで、つまりは幼い日の初恋みたいな。だから「今日トテモ楽シカッタ」っていう、たどたどしくて素直な愛情表現になるのではないかな。それを大人になってから思い返していて、あの時不思議な恋をしたな、みたいな。
味方チームは
・「恋の匂いづけ」というモチーフに近い。最初のカタカナも、異界から聞こえてくるような不思議な感じ。この異界感こそが恋愛の中心的なイメージ(荻原)
・名前を詠みこんでおり、歌合の挨拶にふさわしい。出だしの科白のありきたりさが真実を表現しており、非常な悲しさや儚さが漂っている。さらに、「杉」と「過ぎ」は古式ゆかしき取り合わせである(小池)
・拙い話しぶりが杉山の話し方をよくスケッチしており、素晴らしい(田中)
・万葉では亡くなった人を「過ぎにし」というふうに表現する。これは時間的な奥行のある恋の歌ではないか(河野)
敵チームは
・恋の楽しさがない(三枝)
・恋という題を活かしきれていない(永田)
と言っています。ちなみに著者の小林恭二は
この歌は表面を飾る楽しげな技巧とは裏腹に、免れがたい死の匂いを漂わせている。
「今日トテモ楽シカッタ」という樹のみきの声も、実は滅び行く山野の妖精の声であるかもしれず、あるいはもっと想像をたくましくすればすでに滅び去った亡霊や弱髪の類の声かもしれない。
と書いています。
杉山の歌の方は、「ぐるぐるの」度の強い眼鏡をかけた人との恋と思われます。おそらく眼鏡をはずした時に漢字と花びらの区別がつかない、ということなんじゃないかな?だから世の中にあるものがほとんど花びらに見えるんですね。これも荻原裕幸の言う「異世界感」なのかなぁと思いながら読みました。
味方チームは
・恋の心弾みが実にうまく表現されている(三枝)
敵チームは
・楽しげではあるが、これは恋の楽しさではなく人生そのものの楽しさではないか(荻原)
・わけもなく楽しい気分ていうのはわかるんですけど、文脈をつながらせてゆくための、最低限の了解事項が感じられない(梅内)
と言っています。
杉山美紀の歌についてはあんまり解釈とか議論が膨らんでない印象です(字数の都合で削られただけかもしれませんが…)。
正直この2首はどう勝負させていいかよく分からん(笑)。お互いに詠みあった「恋」の歌だからか、戦うって感じじゃないですし。杉山美紀の歌の文脈が繋がっていないと指摘されてましたが、奥村晃作の歌も文脈繋がってるかなぁ?確かに河野裕子や小林恭二の読みは面白いなって思ったのですが、それが「恋」かと言われるとちょっとうーん??ってなります。
どうしてもどっちかって言われたら私は杉山美紀に入れるかな。ほんと、ただの雰囲気ですけど…。
「恋」がテーマということで某有名漫画のキャラクターの名前を詠み込んでみました。前回のお題「門」で作った歌と「玻璃」という言葉が被ってしまっていますが、歌を作った時期にかなりずれがあって、お題が連続していることに後から気づいて焦りました…。
あと、もともと本歌取りの意図はなかったのですが、
雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ (小池光)
と全く同じ構造になってしまいました。。一時期この歌のこと寝ても覚めてもずっと考えていたから無意識に構造を模倣してしまったのだろう…。まあ、小池光もこの歌合の参加者なので、リスペクト作品ということにさせていただいて…。
なんかあらゆる意味で微妙ですが、せっかくキャラ名入れて作ったのでこのままにしときます。
玻璃に蜜 ひかり露に煌めきて甘き慈悲こそ我を苛む (yuifall)