山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
朋千絵
そんなふうに頷かれたら明日になる前に醒めてしまふよ to be continued
この「醒める」は目が覚める、のさめるなのかな。それとも恋が冷める、のさめるなのかな。そんなふうに頷かないで、目が覚めて明日になっても好きでいたいのに、という感じなのでしょうか。解説には
基本的には相聞歌であるが、具体的なところは巧みに隠されており、ただぼやけた世界が広がる。哀しみと欠落感に満ちた世界だ。しかし朋はまたそれすらもありのまま描こうとする。ぼやけた世界の中から哀しみの核だけを抽出した瞬間。その美しさを何よりも愛する。具体的な社会性などはノイズでしかない。
とあります。
確かにこうやって色んな人の歌を読んでいて、実際の生活を描写する系の人(彼氏がこういう人だとか、自分はこういう仕事をしてるとか、子供がいるとか離婚したとか)と実際の生活がよく分からない系の人いますよね。もしくは実際の生活でなくても、作中主体がいてその人を主人公にして描写するとか。前回のしんくわなんかはそんな感じで、それが作者にとっての事実かどうかはともかく、中二っぽい卓球部の男子が主人公というのは分かるもん。だけどこの人の歌は、この人がどんな人で相手がどんな人なのかよく分からなくて、ただ「恋心」とかそういう抽象化された概念が詠われています。
最初、色々書いていたのですが、どれも的外れに感じて全部消してしまいました。
足元を風にひかれてゆく砂がささめく、あなたが滲む、泣きさう
決してこの物語から出ることはないヘンゼルとグレーテルの小石
限りなく幸福な忘却もあるはずと音叉のやうな暗闇を抱く
こんな歌好きですけど、理由はうまく説明できません。それにしても、
各章の冒頭に短い散文が載っている。「もし、人が五感と五感だけで感じあえるとしたら、誰かを好きになることなど、ちっとも怖くなくなるだろう。」「〈パチン!〉バッドチューニング。急がなければ、約束の時間に遅れてしまう。」「女は、臍帯という密かな絆を隠し持つ。」それぞれの章から一部抜粋してみた。朋は、肉体と言葉を持っているがゆえに苦しみながら、しかしそれが誰かを愛するために必要な苦しみなのだと考えている。
とあるのですが、短歌と散文の雰囲気の違いにちょっと驚きました。短歌のほうが「ぼやけた世界」「哀しみの核」なのに、散文は、なんだろう。キャッチコピーみたいです。(妄想ですが)80年代くらいのファッション誌の恋愛特集のアオリ文みたいな…。
後半には、息子が登場したりするようです。解説に
ぼやけた世界の中で断片的に鮮やかな風景が現れては消えていく瞬間、どきっとさせられる。この緩急の使い方の巧みさが印象的な歌人である。
とあります。
あたたかくまろき体(てい)なすもの達よわが静謐の外へと還れ
この「あたたかくまろき体なすもの達」っていうのは子供のことなんだろうか。確かに、こういう歌の中に急に「息子」が出てきたら、ああ、現実の世界を生きてる人なんだ、ってどきっとしてしまうかもしれません。
いつからそこにあるのだろう。コーヒーのボトルにフィブロインがきらめく。 (yuifall)