山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
大久保春乃
三十五篇の詩からあなたはゆっくりと引き潮になってゆくのだろうか
血の混じる卵を見たら日暮れまでだれとも口をきいてはいけない
「ひろやすさんと行くのそれとも夜と行くの」問いただされてカメムシになる
こういう歌全般に好きです。うーん、意味分かる系の歌の方が好きって今まで思ってたけど、シュール系もけっこう好きなんだな。。多分、よく考えると意味分からないんだけど、すっとしみ込んでくる感じの(説明はできない)歌が好きなのかもしれません。特に「カメムシ」の歌なんてすごく好き…。俵万智の
「おまえオレに言いたいことがあるだろう」 決めつけられてそんな気もする
思いだしました。この歌時々ふっと頭をよぎるんですよね。『サラダ記念日』の「オレ」「おまえ」節はもう時代遅れなんだろうなーとは思うのですが、時々少女漫画原作映画とかで俺様男との胸キュンストーリーみたいなの宣伝で見ると、未だに人気のあるキャラ設定なのかなって気もします。
第一歌集のタイトルは「いちばん大きな甕をください」だそうで、
のっぽの男ひとり沈めておくのだから一番大きな甕をください
という歌から採られたタイトルでしょうか。こういう言葉ってどこから来るのかなってどきどきしてしまう。
透明感のある若々しい相聞歌と、日常に疲れたような主婦の生活詠とが不思議なバランスで混じり合っている歌集であるが、「指」の歌が異様に多いことに気づく。
と解説にはあり、「指」の歌が多数引用されます(ちなみに「日常に疲れたような主婦の生活詠」っぽいものは引用されていないので、どんな歌かは分かりません)。
君の指にほどかれてゆく髪の束「あなたを生きてみたい」だなんて
コーヒーカップと煙草を持ってあまっている小指をひと夜貸して下さい
これもまたどきどきしますね。私自身も「指」にフェティシズムを感じる方なので(実際の「指」そのものではなく言葉としての「指」にですが)ときめきましたが、解説によれば、
解説の森本平は大久保の短歌の特徴として、日常感覚の延長にあらわれる悪意と逸脱を指摘している。ばらばらに刻まれたような「指」の描かれ方は、攻撃的にならない日常からの逸脱を象徴する「突端」なのだろう。
ということらしく、「ばらばらに刻まれたような「指」」というのはつまり、人体と繋がっていないように感じる「指」ということだろうか。
熱傷のように焼き付く手のかたち私を赤い蝋燭にして (yuifall)