山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
塩野朱夏
「あたしドーリィ」濃(こき)色の夜の羊の一匹が不眠の柵を喰いやぶって
「ドーリー」「羊」のモチーフってクローン羊のドリーなのかな?この歌ではDreamとの掛詞にも思われます。だがしかし「ドーリィ」でググるとアンパンマンの映画がヒットしますね…。泣けるらしい(笑)。
この人はプロフィールを全然明らかにしておらず、歌集も「不可解な死を遂げた夫妻の遺品から見つかった手帖と手稿を原文のまま順次掲載する。」という体裁で発表しているそうです。
鎮静剤服まされ海底ゆらゆれて手術室への船酔いの行(ぎょう)
手術後後遺症気づかう医師にジョコンダ夫人の石胎の微笑にて応える
みたいな、西洋の雰囲気なんですが、どこか昭和の閉鎖病棟のようなイメージもあります。なんとなく京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を彷彿とさせますね。1900年代前半~半ば、病院、精神病、女児、虐待(躾)、閉鎖空間、胎児、といった雰囲気です。
爪を噛む悪癖の娘の指縛る十二月へ開いたままのピアノ教則本
割礼、纏足、トゥシューズ、少女を苛むもののひびき晶(すず)しき
解説には
歌集のなかにはしばしば「こども」「娘」が登場する。そしてそれはつねに「縛られた」存在としてあらわれる。作中の登場人物であるジキル博士とハイド夫人の娘という設定なのだろう。しかし、いたかもしれずいなかったかもしれない「ひとり子」は、作者自身の過去の姿を断片的に浮かび上がらせているのかもしれない。
とありますね。なんか『ヴァージニアウルフなんかこわくない』を連想しました。
「女児」にはどうしても「弱者」っていうイメージが付き纏う気がする。運命に翻弄されるというか。男児だとほっとくといつか寝首をかかれそうなのですが、まあとはいえ女児が寝首をかく話も好きですけどね…。歌集をまとめて読むと世界観にハマりそうな感じがします。
とおき空に断食月の月盈てりわれはわれの他なる生を知らず
この歌好きだな。昔モルディブに行ったとき、ちょうどラマダンの月で、マレでは日中誰も飲食してなかったことを思いだしました。自分以外の人生って知らないんだよね。そこで断食をして、時間になるとコーランを祈る人生って知らないな、って、この歌を読んで思いました。当たり前のことなんですけど、気づかされてはっとすることがあります。
側弯の娘矯正せよ人の形に抜けば睨む眼球 (yuifall)