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現代歌人ファイル その104-斉藤光悦 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

斉藤光悦 

bokutachi.hatenadiary.jp

冬の朝きらめく光にめまいして立ちつくしたり 存在って な に

 

 冒頭にいきなり

 

タクシーを右腕で呼び左手でYES・NOをさぐる君の指から

 

という、バブル?ナンパ?って感じの歌が紹介されてちょっとうわってなったのですが、その後こんな「存在って な に」みたいな歌が目に飛び込んできてどきっとしました。なんだか急にこの人の魂の真ん中の頼りない部分に触れてしまったような気がして。

 光の中、不意にめまいを感じて、今どこだろう、自分はなんだろう、って感じる瞬間、すごく分かります。なんか目覚め切ってない時みたいな…。何となく意識はあるんだけど身体が動かなくて、やたらと幻聴を聞く時みたいな。

 

シャボン玉のなか少年の僕がいる デカダンしようよ 夕明かりだ、ほら

 

この歌も気になったのですが、解説に

 

デカダン」というのは斉藤の短歌のキーワードであり、虚無に憧れ退廃を求める精神がバックボーンとなっている。

 

とありました。

 

 

子宮へと俺をみちびく肉体をもてあましている認識がある

 

 男の人が歌うこういう歌、気になります。心惹かれるってわけではないんだけど、なんというか、自分には絶対に分からない感覚だから、単に知りたいと思うのかも。

 

あたたかいからだのなかに倒れたいバターナイフがめりこむように  (吉川宏志

 

なんか、すごい愛おしい感じするもん。でも分からないんだよな。だって自分の肉体が女性に惹かれていくってことないし、誰かの身体の中に入りたいって感じたことないから。だからこそこういう歌が目に留まります。素直に「倒れたい」っていうのも、「もてあましている」っていうのも、どういうことなんだろうか、と。

 

父として死ぬまで生きてゆくのだろう息子としての生をすぼめて

 

 最後にこの歌が紹介されていて、そうかぁって思った。何度か書いてるのですが、色んな人が、恋愛とか青春とか自分の存在の頼りなさみたいなことを詠う時期を経て、誰かと結ばれて子供を得て、っていう人生の変遷を歌にしていて、この人も自分の肉体をもてあましてデカダンな青春を浪費していた時代を経て父になっていて、そうすると「息子としての生」はすぼまっていくんだなって。それってごく普通の感覚なんだと思うのですが、逆に、誰もがそうやって自我をすぼめていけるんだろうか、と、いつも考えます。

 解説の最後に

 

こうした徹底的に内省的な雰囲気を持ちながらもスタイリッシュさは決して失わない歌を詠める歌人がいることは、加藤克巳の貴重な遺産であると思う。

 

とあり、スタイリッシュさが損なわれないのは「自分自身としての生」が完全にはすぼまっていないからじゃないか、と思ったりもしました。

 そういえば『スゴ母列伝〜いい母は天国に行ける、ワルい母はどこへでも行ける』(堀越英美)読んでて面白かったんですが、親になったからって別に「母」(あるいは「父」)を自我にする必要もないのかなって思いました。

 

 

イニシャルを告ぐごとき風吹きぬけて秋が私をピン止めにする (yuifall)