山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
上野久雄
ねむりゆく闇に思えば亡骸にまわりつづけていし扇風機
この暗き流れの底を遡る五月の鮎のにおう星の夜
アララギ出身の上野には、地味な写実の歌が多い。かなり胸にぐっとくる修辞の冴えた歌を繰り出してくる。
(中略)
渋味のある歌であるが、決して難解さはない。なるほど「うまい」とはこういうことなのかとつくづく感じさせる歌である。修辞が主役になってしまいかねないところを、ぎりぎりのラインで踏みとどまって静かな心理描写に転換させてみせる。
とあります。こういう歌って自力では全然読めないので参考になります…。思わず「修辞」って何だっけ…となってしまい、Wikipediaの「修辞技法」の項目を熟読してしまった。面白かったです(笑)。
この人は解説によると「若い時に肺を病み」とあり、
サナトリウムに聴きおぼえたる旋律をすこし違えて口笛がゆく
という歌もあるので、結核だったようです。そんな病気に若くして罹ってしまうと精神的にもすごく変わってしまいそうだなぁ…。解説には
若い頃から死を意識して生きることは老成を促しそうにも思えるが、上野の場合は永遠の青春性をどこかに留めさせたようである。
とあります。1927年生まれの方だそうで、もしかしたらこの時代は生き死にが今よりもっと身近だったから、あえて老成するってこともなかったのかな。というか昔の若者の書いた日記とか読んでると、皆今の同年代の人よりも成熟している感はありますよね…。それがいいかどうかはともかくとして…。
最後に相聞歌が引用されます。
どちらからともなく腕時計はずし合う夜半なれば他にすることもなく
ひまわりの朝より炎(も)ゆる花のかげ素足の汝をのぼる蟻見ゆ
今まで読んできた歌と結びつきにくいほどセクシーですね。身体の儚さが身に染みている人だからこそ、身体の愛を詠うのかもしれません。解説には
上野が描くのは身体からの自由を得た精神性のエロスかもしれない。長年の信頼によって築き上げた精神の感応が生み出すエロスだ。
とありますが、私はむしろこれらの歌から身体性の強さを感じました。精神的に愛おしく思う人と自分と、2人ともに確かな肉体があって、そして触れ合っていられることの幸福を切実に知っているからこそ詠む歌なのかなと。すごいぐっときました(笑)。
仰向いて肩越しに見る満月のごとき蒼さの残るまなうら (yuifall)