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現代歌人ファイル その6-奥田亡羊 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

奥田亡羊 

bokutachi.hatenadiary.jp

折れるほど抱きしめるのに俺たちがただ棒切れのような日もある

 

 今まで登場した歌人は『短歌タイムカプセル』や『桜前線開架宣言』でも取り上げられてきた人たちだったので、このコーナーで出会う以前にも解説とか読んだりしていたのですが、これからは初めて出会う歌人がどんどん登場します。なので、どんな作風なのか全然分からない人が多いです。だから、包括的な読みは諦めて、一首鑑賞のスタンスで向き合って行こうかと思います。

 

 この歌、「折れるほど抱きしめる」って表現だけだとなんとなくJ-pop感があり、相手は華奢な女性なのかなー、って想像するのですが、「俺たちがただ棒切れ」なのか…。意味がよく分からん…。意味がよく分からんがかっこいい…。短歌に「俺」って一人称使う人って意外に少ないような気もします。

 

逆さまにビルから人が落ちてゆく顔まで見えて人はひとりだ

 

 これもハードボイルドですね…。マイクル・シアーズの『ブラック・フライデー』思い出したわ。見てる方なのか、落ちる方なのかどっちなんだろうな。

解説には

 

 生きていくことの哀感と孤独、そういったものが満ち溢れている歌です。奥田の詩作の原点は自由律俳句にあるそうで、確かにこの厭世感は尾崎放哉や種田山頭火に通ずるものがあります。

 歌集の中には、妻との離婚、逃避のような田舎暮らし、尊敬する先輩の死といった人生の一ページが切り取られています。いずれも「からっぽ」というのがキーワードになっていることに気付きます。

 

とあり、リアルハードボイルドライフですね…。なんかサンキュータツオの『これやこの』連想しました。どこか厭世的で身近に死人の多い生活。

 

負けるしかなくて掴んだ夕暮れを呪文のように引きずっている

 

なんていうのはなんていうか、「男の悲哀」だなって感じがしますね。

 この歌、服部真里子の

 

ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた

 

を連想したのですが、「戦って勝つために生まれた」のに「負けるしか」なかったらどうすればいいんだろうか…。そういえば、日本の男女格差的なネット記事読んでいたらコメント欄に「今でも日本では女の方が優遇されている。その証拠に、男の方が自殺者が多い」と書いてあり、それに対して「男の方が耐えて生きる強さがないだけ」と書かれていて、どっちの視点もなんというか興味深かったです。もちろん全てはケースバイケースなので漠然とした印象では語れないのでしょうが、「負けて」生きることを自分に許せるか、というのもあるのかなぁ。

 

宛先も差出人もわからない叫びをひとつ預かっている

 

 この歌好きだな。「叫び」は、自分のものじゃなくて、預かりものなんだね。

 

 

楽な生き方、そんなもの堕落だとキチントさんが滅多刺しだぜ (yuifall)