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現代短歌最前線-梅内美華子 感想3

北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

 梅内美華子③

 

性愛の痛みは背に残りいてくちなわなれば歩みがたきか

 

 この歌に出会ったときに初めて「くちなわ」という単語を目にしました。朽ちた縄=蛇なのね。そりゃあ歩みがたいですね…。調べたら西日本では標準語、と何かのサイトに書いてありましたが、大阪弁ネイティブの友人に聞いてみたら、祖父母世代の言葉じゃないの、ということでした。ちなみに難波に「くちなわ坂」という場所があるそうです。

 

 性愛の痛みが背に残るというとフローリングあたりでセックスしたのかなーとか全然詩的ではない感想…。むしろこの歌は主人公=作者という常識を捨て、男性が詠んでいる=背中に爪を立てられる系と妄想してみたのですが、「くちなわなれば歩みがたい」のはやっぱり女性っぽいな…。自分が下になって抱き合ったあと、痛みが背に残って、「くちなわ」ということは手足が自由にならないということ?

 この歌すごく好きなのですが自分の中で解釈が定まっていません。一緒に横たわっているというよりも、男性は去ったあとで取り残された情景が目に浮かぶのですが、「歩みがたい」とき、本当に痛いのは「背」なんだろうか、と考えました。

 

抱きながら背骨を指に押すひとの赤蜻蛉(あかあきつ)かもしれないわれは

 

 これも背骨にフォーカスが当たっていますね。赤蜻蛉の赤くて細い胴体?と薄い翅を思い浮かべます。蜻蛉の節?みたいなやつが、椎骨なの。

 これは綺麗な歌ですね。今度は「背骨を指に押す」んだから、座ったまま抱き合っている情景を思い浮かべました。ちょっと背中が丸まっているのかな。蜻蛉を捕まえた時、胴体を掴むと思うのですが、節?しっぽ?みたいなところを丸めて翅を震わせるから、そういったイメージです。「赤蜻蛉」なのがまた詩的ですね。

 

少年の君の体を知らざればひまわりの背の思わぬ暗さ

 

 「ひまわりの背」が「暗い」ってどういうことなのかなぁ。「少年の君の体を知らない」なので、成長していく途中の君を知らない、って自分より背丈の高いひまわりの陰で思ったってことなのかしら。「少年の君を知らない」じゃなくて「少年の君の体を知らない」だから、恋人は十代の頃に誰か付き合った人がいて、この人とは二十代以降に出会ったんだろうか。

 この歌の「暗さ」がいいなって思います。「高さ」とかじゃなく、「暗さ」なんですよね。多分大人になるまでにくぐり抜けていく思春期の「暗さ」、彼のそういう部分を実は見たことがない、ということかもしれません。

 でももし、恋人と最初から出会って結ばれていたとして、ひまわりの「暗さ」を知らずにいることなんてできるんだろうか、と考えたりもしました。ただ、普通は兄弟とか幼馴染と違って恋人と出会うまでの人生を見たことがないというのはある意味当たり前のことであり、それをひまわりの下にいたときに急に感じる、というその感覚が詩的で胸に迫ります。

 

 

うすい翅破かぬように抱きおれば潰してみてという目をするね (yuifall)

 

 

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