北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。
梅内美華子
われよりもしずかに眠るその胸にテニスボールをころがしてみる
この歌は、俵万智の『あなたと読む恋の歌 百首』に引用されていて印象に残っていました。そこにはこう書かれていました。
気持ちが醒めているというわけではない。たぶん、まったく対等なのだろう。幼いときから同じ教室で学び、遊び、クンづけで呼んできた「男の子」との恋愛の、一つのかたちがここにあるのだと思う。
俵万智は60年代生まれ、梅内美華子は70年代生まれで、おそらく俵万智にとっては、自分より下の梅内美華子の世代ではよりフラットな男女関係、「まったく対等」の関係、という意識があったのかもしれませんが、個人的には梅内美華子の歌の男女は「まったく対等」という感じはしないなと思います。
この『現代短歌最前線』の「最前線」は20年前なので、70年代生まれまでの歌人が収録されていて、70年代以降の『桜前線開架宣言』とはやっぱり明らかに傾向が違うな、と今読むと思います。
以前『短歌タイムカプセル』でも紹介した
生き物をかなしと言いてこのわれに寄りかかるなよ 君は男だ
や、この『現代短歌最前線』に載っている
わが胸のガラスの魚を誉めつつも今日より君は君を守れよ
といった一首、また同世代の大田美和のフェミニズムに関する作品などを見ていると、実際に対等であるというよりは、この時代の女は肩肘張って男と対等でいないと、っていう意識が今よりも強いのかなと感じます。
とはいえ、現代において女性の待遇が劇的に改善されたというわけではなく(実際男女平等指数は先進国で最低レベルだし…)、現代ではむしろ男性の方がもうがんばってらんねー、ってなってるような感じなのですが(笑)。
でもやっぱり
わが首に咬みつくように哭く君をおどろきながら幹になりゆく
こんな作品もあって、「君」に寄りかかってもいいんだよ、って言ってあげているような気もするな。まあ、これは私の勝手な願望なのかもしれませんが…。
「まったく対等」というのは、「私はあなたに寄りかからない、あなたも私に寄りかからないで」ということじゃないんじゃないかな。わたしもあなたもお互い自分で立てるけど、寄りかかりたい時はお互いに寄りかかってもいい、という方がより近いんじゃないだろうか。
もう何もしてやれないよ きみだけの魚が光を放ち遠のく (yuifall)
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