講談社 穂村弘 著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。
間違いのある歌 その1
この章好きです。特に与謝野晶子の
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな (与謝野晶子)
が好き。解説にも、
この流れの中で大仏像を「美男」と呼ぶ不遜さ、率直さ、瑞々しさに晶子の面目躍如たるものがあり、今日の読者にも新鮮な衝撃を与える。決して誤らない神仏に対して人間の女の生命力をぎりぎりまで主張する一首は、誤り得る生の輝きを放っている。
とあり、歌のよさは内容の正しさじゃないと思いました。
以前森博嗣のエッセイ『森 博嗣のミステリィ工作室』の「第2部 いまさら自作を語る」の『冷たい密室と博士たち』のページで、以下引用
西之園萌絵が乗っているツーシータのスポーツカーが何なのか?というご質問を受ける。本作では、極地研に入っていくときの描写からハンドルが右にあることがわかる(助手席の犀川が警備員と話している)。また、登場人物の一人が「4000cc」と指摘している。フェラーリには右ハンドルがないと思う。次作の『笑わない数学者』では、西之園自身が「アルファ・ロミオ」だと答えている。しかし、「アルファ・ロミオに4000ccはない」と笠井潔氏に指摘されてしまう。森は、実は知っていた。まず、4000ccが事実だという保証がない。それは、登場人物の老人の発言であり、彼の勘違いかもしれない。また、西之園の愛車が1台であるという保証もない。ということを最初から見越して書いている。答を書かないことで、話題になると思ったからだ。ミステリィとはそういうものではないか。
と書いてあって、まあある意味叙述トリックの一種なんですけど、面白いなと思いました。なので別に現実の「鎌倉の大仏」は「阿弥陀如来像」かもしれないけど、この与謝野晶子ワールドの「鎌倉の大仏」は「釈迦牟尼」であっても何の問題もないのではないかと。だってみんな別に短歌に事実だけを詠んでるわけじゃないし、短歌は地理の教科書でも歴史書でもないわけですし。嘘書きまくりですよ。
『十二少年漂流記』という本をみつけられない客と店員 (船山登)
も面白いなー。確かに少年が3人足りないな…。こういううろ覚え系間違いよくあるな…。いつも何かとふわっとしか記憶してないからこういうのはマジであるあるだな…。
マンドラゴラをマンドゴドラと思ってたどうせどっちもいないんだけど! (yuifall)
(*念のためですが、植物のマンドラゴラ(マンドレイク)は実在します)