講談社 穂村弘 著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。
ドラマ化の凄み
この章は大西民子特集なのですが、この人といえば
かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は (大西民子)
のイメージだったので、
わが使ふ光と水と火の量の測られて届く紙片三枚 (大西民子)
にはマジで驚きました。こんな歌作ってたんだ!面白すぎる!これってネタなの?それともマジなの?この人すごいな。解説も面白いです。
内容を要約すると→水道光熱費の請求書が来た。
光熱費の請求書が言葉の力によってこんな見事な歌になるとは、と驚かされる。ここまでいくと、ドラマ化というよりもむしろ形而上的異化の趣がある。
とあります。形而上的異化…。この人にかかれば何でも詩にしてくれそうな魔力を感じますね…。
他にも
日のくれに帰れる犬の身顫ひて遠き沙漠の砂撒き散らす (大西民子)
(解説には)
→犬がぶるぶるした。
って書いてあって笑った。犬のぶるぶるが詩に!!今までのアンソロジーとかで全然触れてこなかった系統の歌を読めてよかったです。
それからこれは有名な短歌ですが、
妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか (大西民子)
この人の歌って、長年別居した夫と離婚して夫が再婚しているという事実を背景にどうしても読んでしまうので、ああ、元夫は再婚してユトレヒトにいるのか、って今まで普通に思ってた…。オランダか…。でも嘘なのか…。いや、自分だって短歌内で嘘つきまくりですけど(というか自分を主人公に設定してないんですけど)、ユトレヒトだけが嘘っていうのは、音重視なのかなぁ。「ユトレヒト」=「雨がしとしと」みたいな。
なんつうか、
そのときに付き合ってた子が今のJR奈良駅なんですけどね (伊舎堂仁)
とはわけが違うじゃん…。「現実をドラマ化する大西ワールド」か…。光熱費の請求書を詩にしちゃう人の魔力は底知れませんね。。
自分なりの短歌作ろうと思って色々考えたのですがマジで駄作しかできませんでした。テーマも中身も凡庸だし、何度か別のものを作ろうと試みたのですがどうしてもうまくいかず…。まあ、大西民子レベルを目指したって無理だな、と潔く諦めて駄作のまま載せときます(笑)。
サンダルを振るたびまたもまたも落つ密輸入せし楽園の砂 (yuifall)