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ぼくの短歌ノート-「生殖を巡って」 感想

講談社 穂村 弘著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

 生殖を巡って

 

 生殖への畏怖、嫌悪、その忌避感への裏返しとしての「童貞性、処女性、同性愛性への憧憬」を詠った歌(解説より)が引かれています。それぞれの代表歌として一首ずつ引用すると、

 

青年の群れに少女らまじりゆき烈風のなかの撓める硝子 (塚本邦雄

 

おほきなる屑籠ありてやはらかきみどり児を容るるに足らむ (葛原妙子)

 

少年は少年とねむるうす青き水仙の葉のごとくならびて (葛原妙子)

 

があります。

 

 以下は作者がLGBTQ当事者とかそういう背景がないと仮定した場合の「一首鑑賞」としての読みですが、生殖への畏怖、嫌悪、忌避感というのは、すなわち、自分自身が何かに支配されることへの抵抗なのかな、と思いました。生物として回避できない生殖というメカニズムがあって、そこに肉体や精神が向かっていくことへの抵抗というか。自分の思考や感情は自分のものではなく、実は本能に支配されて発せられているのではないか、という畏怖なのではないかな。だからこそ、同性愛的な純愛と心中(性交や生殖から切り離された愛と死)というテーマが昔から繰り返されてきたのかなって。同性愛的と書いたのは、別に同性愛に限らず、「生殖から切り離された」という意味合いだからです。清いままの男女とか、何らかの理由があって性交や妊娠出産不能とか。

 

 これは前回の「美のメカニズム」と共通する感覚で、「食って産むために生きるだけの生」への抵抗なんだと思う。そして、以前「するときは球体関節」の章で「男女の性的非対称性」について触れられていたのですが、その感覚がやっぱりここにもあるなと思いました。こういう場合、男性も女性も、女性の肉体や精神を憎んでいるんですよね。

 女性は、受け入れること、産むことによって否応なしに規定されていく心と体を一方では「花的身体感覚」として賛美し、他方では「するときは球体関節」と嫌悪する。だけど男性は基本的には自分自身の肉体を嫌悪するっていうスタンスはあまり感じられなくて、女性の肉体に惹かれながらもそのこと自体を憎む、あるいは女性を肉体的に愛しながらも精神的に愛することを拒絶する、っていうスタンスはしばしばみられます。その理由とか是非について論じるつもりはないのですが、そこが「非対称性」になってくるのかなと思いました。

 

 こういう思想が根底にある場合、生殖補助医療というものはどう受け止められるのかな、と考えたりします。まあ、生殖補助といってもあくまで補助であって、男性はただ精子を出せばいいだけなのに対して現状女性は性周期の維持、採卵、移植、妊娠の維持、出産、それに伴う肉体と精神の変化や医療的リスクという身体的・精神的負担がかかるのですが。

 そのうち人工子宮とかできたらどうなるのかな。生殖が性交や肉体と完全に切り離された場合、どう受け止められるんだろう。もしくは、他に「本能」と言われる食事(+排泄)や睡眠(&休息)なんかについてはどう捉えられてるのかな。特に食欲なんて、捉え方によってはやっぱり嫌悪の対象になると思うのですが。

 

 ただですけど、純粋に「自然の摂理」というか、生物学的観点からすると、人間以外の生物(ペンギンとかライオンとかサルとか)でも同性愛行為や生殖に繋がらない性行為、あるいは性交のない親密な関係性ってまま見られるわけですし、あるいは人間でもあらゆる文化において同性愛行為は見出されるわけで、「生殖から切り離された」愛も「自然」なことなのかなと個人的には考えてます。というか、おそらく社会的合理性の観点から言っても、生殖可能な人間が100%生殖に関わることは逆に非効率なのかもなと。

 例えるなら(本当に単なる例ですが)、働きアリの中で働かないアリが常に一定の割合存在するというのはよく知られた事実で、実際コンピューターでシミュレーションしても常に全員フル稼働じゃない方が群れとして効率がよく、長く存続できるそうなんです(最近流行りのsustainabilityですね)。

Lazy workers are necessary for long-term sustainability in insect societies | Scientific Reports

効率だけを追求すると長続きできない。「働かないアリ」に学ぶ、関係としての永続性 | ファイナンシャルフィールド

つまり人類の繁栄の観点からすると、生殖に直接関与せずに社会や文化、教育や養育、経済を支える人口がある程度必要なのかなという気がしてます。

 子育てってそれに主として関わる人間から相当なエネルギーとリソースを奪いますしね…。というかやはり多様性を認めて、こういう生き方もある、という視野を広げた方がある意味では子供も持ちやすいし(親はこうでなければならないという呪縛があると子供は持ちづらいですよね)、種としてのsustainabilityは高いのかなと。

 なので、「生殖から切り離された」愛の美しさは、ミクロ的な観点からすると「退廃」「滅び」の美学なのかもしれないのですが、マクロ的に見ると大いなる自然の流れの一部なのかなと思います。

 

 

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