「一首鑑賞」の注意書きです。
355.折り目よりちぎれゆく地図アラビアの海の青さをテープにとめる
(三井修)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで石川美南が紹介していました。
何度も開いたり折ったりした地図の折り目がついにちぎれてしまい、テープでとめている。そこは海で、アラビアの青い海で。
先日、クリストファー・R・ブラウニングの『普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』という本を読みました。参考資料としてたくさんの写真が添えられているのですが、そこに「何気ないシーンであっても写真を撮った状況によって全く物の見方が変わってしまうことがあるのだ」とコメントが書かれていました。つまりどういうことかと言うと、ドイツ兵が楽しそうに飲酒を伴う宴会をしている何気ないスナップショットの一枚が、裁判で「ユダヤ人の虐殺に関わるにあたってアルコールで気を紛らわせているシーン」と認定された写真であった、というようなことです。写真は本当に一瞬の切り取りでしかないけれど、背後には膨大な状況やその瞬間に至るまでの過程があって…ということを考えて背筋が寒くなるように感じました。
この歌を読んでそれを思い出したのは、私にはこの「地図」がどういうものなのかイメージしづらかったからです。アラビアの海の青さ、そこが千切れてしまった地図。「地図」という言葉を深読みするとどうしても戦場の匂いがします。国境を引いているのが人間であり人間の歴史である以上、血が染み込んでいるように感じるのはやむを得ない。でも日常においての「地図」は、もっとわくわくする楽しいものです。見知らぬ土地を歩く時の道しるべになってくれる存在で、千切れるほど読み込んだそれは土地の思い出と同じくらい大切なものだろう。
「海の青さ」、それに地図を「テープにとめる」ほど大切にしている様子から、この地図は作者にとってポジティブな背景を持つものなのではないかと感じます。
鑑賞文には、作者が実際中東で働いていたことが書かれています。
しかし、「折り目よりちぎれゆく地図」の歌は、おそらく現地で詠まれたものではなく、日本に帰ってきた後の作。使い込んで何度も閉じたり開いたりした地図は、折り目のところが弱くなって、簡単に破れてしまう。語り手は、破れたところをテープで止めながら、その部分に広がっている海を見つめる。
少し前まではこの目で見ていた海。今はもう、遥か遠くになってしまった海。だからこそ、語り手の目に、アラビアの青はいっそう輝いて感じられたのではなかったか。
(中略)
「占領下(オキュパイド)パレスチナ」なる国名が海にはみ出し地図に刷らるる
「折り目よりちぎれ」ていった地図と、「占領下パレスチナ」が同じ地図であったかは定かではない。いずれにせよ、いつ、どこで、どんな状況で使うかによって「地図」は全く異なる表情を見せるのだ。
そうですよね。国境がなくなればいいとは思いませんが、国境をめぐる争いはなくなればいいのにと思います。
行きよりも帰りは近い 地図の中進む季節の航路をたどる (yuifall)