山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
三井修
ハンドルの半ばを砂に埋めたる自転車があり肋のごとくに
中東赴任中に歌人として活動されていたそうです。現在の感覚でいうと、海外詠というか、海外に暮らす日本人の歌、あるいは外国出身者の詠う歌というのはそれほど珍しいものではなく、『短歌タイムカプセル』や『桜前線開架宣言』でも紹介されていた齋藤芳生や千種創一の所属する『中東短歌』なる同人誌もありますが、この方は1948年生まれだそうで、
「歌詠みに砂漠は合はぬ」簡潔に書かれし文にひとひこだわる
という歌からは、当時の「和歌」というものへの(批評する側の)拘りが窺われます。
うーん、どんな情景を歌にしたっていいじゃんと思う反面、例えばmusicの「歌」でも、「カントリー」「R&B」「ジャズ」「ゴスペル」「民謡」「演歌」なんかのジャンルを文化的背景の異なる人間が演奏することが最初から許容されていたとはいえないし(gleeで黒人の女の子が「白人がファンクをやるとディスコみたいになるよ」って言っていたのを覚えてます)、短歌に関して言えば、「31文字」「五七五七七」という形式を踏襲すればあとはなんでもいいというわけじゃないだろう?(まあその形式さえも破られている面もありますけどそこんとこは置いといて)っていう考えもあるだろうな。ですが、
眠らざる子に妻が読む日本の童話はいつも雪降るばかり
なんかは、
東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ (菅原道真)
を彷彿とさせる郷愁の歌であり(この人の出身地は北陸だそう)、根底にあるスピリットは古典和歌的と言えなくもないです。
しかしながら、解説に
思えば京都に住んでいた頃、札幌よりもはるかに四季がきっぱり分かれている気候に触れ、日本人の季節感覚は京都が基準になっていることを肌にしみて感じたものである。場所が違えば季節感覚も当然大きく変わってくる。そうなれば自然詠のあり方も変質する。
とある通り、四季のない中東で詠む歌ということに対する葛藤はあったのかもしれません。
われを容れぬ日本に帰心起こらねどいま紅葉の劇(はげ)しかるべし
という歌からすると、日本には帰らなかったのでしょうか?
はつなつの海を帆走する艇のかかるまぶしさを子は生きている
という歌もあり、この「子」にとっての故郷は中東の砂漠の地ということになるんだろうな、とふと考えました。
いつかわが柩となるべき幹などもこの月光に照らされいるべし
いまだ子は棺に花零(ふ)るかなしみを知らずに夏の潮位見ている
を読んでいると、この地に骨を埋める覚悟ということなのかな。
最後に
三井は中東を決して旅行者の視点では見ない。あくまでそこに暮らす生活者の視点を忘れまいとする。定点観測して世界を見つめようとすればするほど、歴史や栄枯盛衰といった巨大なイメージへとつながっていく。日本の気候でしか描けない世界があるように、中東の気候でしか描けない世界もある。そのことをしっかりと認識している三井の歌はいつも誠実であり、魅力的だ。
とあり、短歌的なスピリットは必ずしも日本の気候に帰属するわけではないんだろうと思いました。じゃあ何にって言われると分からないんですが、やっぱり言語感覚なのかなぁ。五七五のリズム感もあるし…。
以前、アメリカ人の俳優さんが舞台上で即興で?読んだ詩をファンの人の舞台レポートで読んだのですが、「韻を踏んでるなー」くらいしか分からず、そのリズム感とか文化的背景に裏打ちされた言葉選びとかの妙については理解できずじまいでした。そういうのって、詩歌への親しみ方の程度もあるかもしれないですが、日常的にその国の言語をどれだけ使っているか、どれほど日常に根付いているか、っていうのもある気がする。逆に、だから外国に暮らしてると駄目ってわけじゃなくて、日本語の言語感覚が根底にある状態で他国の文化、あるいは気候、言語に触れた時に、面白い反応が生まれるってこともあるんじゃないかなぁと思いました。千種創一の短歌すごく好きだし。
ふるさとでない川岸を恋うるとき一握の砂は踏み絵と思う (yuifall)