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読書日記 2024年3月13-19日

読書日記 2024年3月13-19日

伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』

伊坂幸太郎『逆ソクラテス

阿部和重伊坂幸太郎『キャプテンサンダーボルト』 上下

・下村敦史『失踪者』

・オギ・オーガス、サイ・ガダム(坂東智子訳)『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか』

スティーヴン・キング、べヴ・ヴィンセント編アンソロジー白石朗中村融訳)『死んだら飛べる』

岩下悠子『漣の王国』

・アンソロジー『泥酔懺悔』

中村文則『掏摸』

加納朋子ななつのこ

辺見庸『反逆する風景』

 

以下コメント・ネタバレあり

伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』

伊坂幸太郎『逆ソクラテス

『クジラアタマ~』の方は、内容的に2009年の新型鳥インフルエンザ騒ぎが題材かな?と思いながら読んだのですが、状況がむしろコロナ禍の時と似ていて、ちょっと鳥肌立つ感じでした。実際、初版が2019年の7月に出ているのでコロナ禍がテーマということはあり得ないし、あとがきにも鳥インフルエンザがモデルとありました。内容は、昼は普通のサラリーマンだけど夢の中では戦士!みたいな感じですが、本人は夢の記憶がないのでその辺は小説では描写されません。サイレント映画みたいな漫画が挿入されます。夢で一緒に戦ってる仲間は基本的には2人で、政治家(男性)とアイドル(男性)なんですが、もしかしたら上司の係長(女性)も?という雰囲気はあります。伊坂幸太郎の話は色々ありつつも最後は伏線回収されて後味いいので今回も期待を裏切らない感じです。

『逆ソクラテス』は、胸が痛くなるような青春未満話でした。それぞれ独立した短編集ですが、主人公はどれも小学生です。時々キャラクターが重なっていたり他の話のキャラクターが登場したりはありますが、どれも別々の話です。『アンスポーツマンライク』がとてもよかった。この話は女子の心鷲掴みでしょ。あとがき・対談で「特にジュブナイルではない」とありましたが、やっぱり10代の子に読んでほしいなぁと思いました。小中学生時代っていわば青春未満、春の前の冬の時代でままならないことが多く苦しいし、狭い人間関係の中でもがかなくちゃいけない時期でもあるのですが、まあ終わってみれば悪くないかもって。

 

阿部和重伊坂幸太郎『キャプテンサンダーボルト』 上下

 めっちゃバディものの冒険小説?でした。面白かった!解説読んでると色々とギミックはあるようなのですが、頭からっぽにして楽しんでいい感じの本だと思います。小学校時代に同じ戦隊ものに熱狂した幼馴染同士のバディ、2人を決別させた意味深な過去、行動を共にする意味深な美女、謎の殺し屋に殺人生物兵器…などなどわくわくするワードが盛り盛りです。これ合作で書くとかすごいなー。最初はリレー小説?と思ったのですがそういうわけでもないみたいです。恥ずかしながら阿部和重の本読んだことなかったので買ってみます。

(追記:阿部和重の『ABC』買ってみましたが最初の『ABC戦争』からちょっと読めなくて積んでます。。純文学ハードル高すぎ…)

 

・下村敦史『失踪者』

クライマーズ・ハイ』(横山秀夫)に続く登山モノです。これも登山バディの死を巡る謎…みたいな話ですが、こっちの方が純粋に山にフォーカスした内容になってます。どっちも収まりのいいエンドなんですが、『クライマーズ・ハイ』の方がハッピーエンドっぽく見えるのは多分2人に子供がいるからだろうな…。こっちのバディは2人とも独身なので、ハッピーエンドというよりもブロマンスものの死ネタみたいな感じです。ブロマンスものとしては完璧にツボを押さえてるので腐女子には超おすすめ。あと普通に登山ミステリとしても面白いです。

 

・オギ・オーガス、サイ・ガダム(坂東智子訳)『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか』

 これは『キャプテンサンダーボルト』(阿部和重伊坂幸太郎)の参考文献として載っていて面白そうだったので買ってみました。「なぜ罪悪感で性的興奮をおぼえるのか?」みたいな項目で、「また男性の場合は、他人の体を突き刺すことに嫌悪感を抱くこともある。僕たちはみんな、だれかの鼻の穴に棒を突き立てるのはいけないことだと本能的に思っている。罪の意識に快感を覚えるから、他人の体を突き刺すことが嫌悪感ではなく、快感につながるというのだ。」と書いてあって笑った。確かに鼻の穴に棒は突き立てないな。

 でもタイトルにある「なぜ女は男同士に萌えるのか」についてはそれほど書いてなかったですね。女性の性欲については圧倒的にロマンス小説に関する内容が多かったです。ハーレクイン的なやつ。科学というか、統計としてそうなのは分かるんだけど、自分はアルファ男性に征服され溺愛されるみたいな恋愛妄想をすることがないのでかなり第三者的に読みました。全般にネット上のポルノサイトや検索エンジンに入力されたエロ関連ワードを分析した研究結果についての内容なのですが、分析対象ワードが英語なので文化的背景の違いでなんとなくピンと来ないという感じもあります。あと「あーこれは知ってるわ」みたいな内容が多かったのですが、この本自体が2012年出版でちょっと古いので、むしろこの本発祥の知識だったのかな?それ以前には知られていなかったのか、それともみんなが薄々知ってたことをデータ分析で証明したということなのか?

 

 性に対する男女のスタンスの違いなんかはとてもよく分かるしゲイやレズビアンバイセクシャルの分析も面白いなーと思ったのですが、「なぜ女は男同士に萌えるのか」についてはタイトル詐欺やんって思ったのでそこがどうしても引っかかる。男性の性についてはここでは置いておいて女性の方について書きますけど、女性にとってセックスはハイリスクだから基本的に一夜限りの相手は求めないということが実験によって証明されていて、相手の男性がセックスする価値がある人、つまり長期的な関係を築くことが出来る(優しい、金がある、子供が好きなど)人かどうかを内なる「探偵」が探ってからじゃないとその気になれない、という風に書いてます。また一方で排卵期になると支配的で強いアルファオスを求めると。だからこの両者を兼ね備えた、金持ちで社会的地位の高いオレ様男が私だけを溺愛♡みたいなロマンス小説に女性は満たされるのだと。その理屈は分かるんですが、じゃあその理屈のどこに「男同士」があるんだよと。この本の中では、「スラッシュ小説(つまりBL)では「探偵」が介在することなく恋愛を楽しめるのでは」説や「アルファ男同士が柔らかい内面を打ち明けあうロマンスに満たされるのでは」説などがとなえられていますが、一方で「スラッシュ小説では片方がやや女っぽく描かれ、そちらが受になる」みたいにも書かれてます。んー?それじゃ「アルファ男同士」じゃなくない?片方が実質女だったらロマンス小説と同じじゃないか?

 この点とても興味あるんですけど、というのは日本のBLだと基本的に受と攻って固定なんですよね。だから日本のBLはある種ロマンス小説の変奏版にすぎないし、スパダリで女に超モテモテのヘテロ男がセクシャリティや社会的常識や“普通の幸せ”の壁を越えてまでどの女よりも熱烈に受を愛する、「男が好きなんじゃない、お前が好きなんだ!」っていうのが究極の萌えなんだろうなーって思ってたんです。あとどうせ女は受に自己投影してるとかもよく言われてるし(この真偽も問いたい)。でも英語圏の小説だとリバがよくあるんですよね。ポジション非固定というか。あと読む限りだとどちらかor両方がゲイ設定もよくあります。だから同じ理屈が成り立たないんだよな。ロマンス小説とは全然違う種類の萌えなんじゃ?っていう。そういうのが知りたかったんですよね。

 例えばですけど、有名なM/M小説、ジョシュ・ラニヨンの『アドリアン・イングリッシュ』シリーズだと、主人公アドリアンはちょっと女っぽい感じの線の細い綺麗系のゲイで、相手のジェイクは支配的なアルファ男です。ジェイクは自分をヘテロだと思いたがっている隠れゲイで、女性の恋人もいて彼女と家庭を築きたいと思っていながら裏で男と刹那的な性行為を繰り返しています。つまり彼にとって男はただの性欲を発散する対象で、ロマンティックな関係を築くのはあくまで女性だと思ってる。ジェイクとアドリアンはお互い惹かれ合うのですが、ジェイクはかなり長い事アドリアンに特に優しくありません。ジェイクにとって男は優しくする対象じゃないし、彼に感情的に惹かれていることを認めたくないし、女性の恋人もいるからです。でいったん別れたりなんやかんやあって最後はジェイクがアドリアンを身も心も愛していると認めて結ばれるのですが、この時リバるんですよね。ずーーっとアドリアンが受だったのがここでジェイクが受になんの。これは自分を受け入れたってことで一種のビルドゥングスロマンみたいな読み方ができるんですが、一方でロマンス小説的な観点からはあり得ないですよね。ハーレクインで、スパダリがヒロインへの愛を認めて身も心も結ばれるクライマックスで受になることないじゃないですか。でもこういうのがM/Mの面白いとこだなーって思ってて、あとこういうリバ的関係性への萌えは自己投影では説明できないんじゃないかとも思ってて、その辺についての科学的分析が知りたかったわ。

 

 それにしても素人が書いたハリポタのBL二次小説(しかもR-18)などが堂々と引用されてるのが海外っぽいです。日本だったらそんなんありえんよ…。怖すぎ…。

 

スティーヴン・キング、べヴ・ヴィンセント編アンソロジー白石朗中村融訳)『死んだら飛べる』

 飛行機(や、空を飛ぶこと)についてのアンソロジーです。『華氏451度』は散々つまんないって書いたけどレイ・ブラッドベリの『空飛ぶ機械』面白かった。『何かが道をやってくる』読んでみたくなったのですが長篇かぁ…。あとはE・C・タブの『ルシファー!』が衝撃的だった。白井智之『エレファントヘッド』の元ネタこれやん。ネタもオチも完全に同じじゃん。『ルシファー!』の方が断然面白いです。スマートで。あと好きだったのはリチャード・マシスン『高度二万フィートの悪夢』、ジョン・ヴァーリイ『誘拐作戦』、ジョー・ヒル『解放』、スティーヴン・キング『乱気流エキスパート』かなぁ。

 アンブローズ・ビアスレイ・ブラッドベリアーサー・コナン・ドイルスティーヴン・キングくらいしか知らなかったのですが、ロアルド・ダールは『チョコレート工場の秘密』の作者でジェイムズ・L・ディッキーは『脱出』の原作者、リチャード・マシスンは『スタートレック』の脚本家、などなどそうそうたるメンバーでした。

 

岩下悠子『漣の王国』

 うまく説明できませんが、鼻水垂れるほど泣いた。神に愛され、男にも女にも愛され、完璧な顔と肉体と身体能力を持って生まれてきた、でもうつろな「漣」という男性にまつわる短編集です。

 

 私は普通の父親に普通に愛されて育ったので口出せる分際じゃないんですけど、こういう話読むと、小関祐子の短歌思い出します。

 

父なくば育たぬ種など滅ぶべし月下を豹の母と子はゆく

 

 漣には母親もいなかったので、そこは本当悲しいのですが。でも私はあの“父親”のリアルな感じは好きでした。とても残酷なとこ。ほんとは「父なくば育たぬ人」なんていないだろ、と思う(「種」だとまあ、現実的にはペンギンとかタツノオトシゴとかいますけど…)。それに気づいてほしかったとも思う。

 こういう完璧に見えるひとの孤独って悲しいですね。誰にも埋められない感じがする。ただ、この作品では「反復」をテーマに、同じことを何度も何度も繰り返す人たちの姿が描かれており、それらは仏教やキリスト教イスラム教などの宗教の祈りに重ね合わせるように描写されています。「最大限の努力(ジハード)」と呼んでいたキャラクターもいました。しかし漣については特にそういう「反復」する努力をしていたシーンは描かれなくて、むしろそういう人たちにどこか憧れながらも見下しているというか、そういう気配を感じました。

 彼を愛した人が何人も出てきて、その想いを伝えた人も伝えられなかった人もいたけど、きっと全員が彼に想いを伝えていたとしても何も変わらなかっただろうと思う。おそらく両片思いだったっぽい人もいるのですが、そこで両想いになっていたとしても無駄だったと思う。だって彼女は彼の父親でも母親でもないし、それに「反復」「最大限の努力」ができない漣は、本質的には誰のことも愛せない人だと思うから。それがとても悲しかったです。生まれながらの欠落はどうしたって埋められないのかと思って。

 

 でも最初に泣いたのは、漣とは関係なく、朝子がライラを想うシーンでした。彼女が愛した男を憎み、彼女が結婚せざるを得ない相手を憎み、彼女が誰かに誰よりも愛されてほしいと願うシーン。宮木あや子とか川野芽生とか読んだ時も思ったけど、こういう女性から女性への愛って女性じゃないと描けないのではと思います。こういうのめちゃくちゃぐっとくるんだよな。最後猫谷が漣を思うシーンもぐっときた。

 作者は『相棒』や『科捜研の女』の脚本家だそうで…。ドラマ全然見ないのですが、きっと面白いんでしょうね。

 

・アンソロジー『泥酔懺悔』

 女性作家11人の飲酒にまつわるエッセイです。エッセイだと知らずに買ってしまった。飲兵衛も下戸もいるのですが、飲兵衛はだいたい「記憶を失う」「その辺で寝る」などの失敗話で、下戸は「酔っている相手と話すと後で内容を忘れられている」「吐かれたことがある」などの苦労話で内容が似通っててちょっと微妙でした。面白かったのは瀧波ユカリの相変わらずの江古田ちゃん節と三浦しをんかな。からっとしてて自慢っぽくもなく読みやすかったし内容も笑えました。室井滋も面白かった。あと最初の朝倉かすみも、小説かな?って思ったくらいの文体でよかったです。一方で山崎ナオコーラ大道珠貴は、私は他の人とは違うんですよ、って自意識駄々洩れで読んでてきつかった。。いやー、よくこんなん出せるよね。特に山崎ナオコーラ。全然よくあることなのに「私は時代に反してる」「他の人はそうすればいいけど私は違う」ってガチ書いてますからね。酒飲みたての20代前半ならともかく30代でこれはきついです。大道珠貴も、「女の話はネイル、占い、婚活、あくびが出る。私は若い男と飲む」ってちょっと、痛いおばさんって感じでした。ネイル、占い、婚活の話する女と飲んだこと一度もないよ私…。

 

中村文則『掏摸』

 短くもすっきりまとまっていて読みやすい話でした。2010年の大江健三郎賞受賞作だそうです。ジェームス・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』的な閉塞感がある話で、もう親ガチャで規定されちゃう人生みたいな…。逃れようもなくアウトローになり、裏社会に巻き込まれ、人生を翻弄され、っていう。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』読んだ時も思ったけど、自分の生まれ育ってきた世界から「なぜ逃げないのか」なんて愚問だよなと。でもこの終わり方はやっぱり、「それでも人生にイエスと言う」ってことなんじゃないかと感じました。

 後から気付いたのですが、『去年の冬、きみと別れ』の作者かぁ…。映画観てから原作読んで、映画全然違うじゃん!ってなった記憶。てか実写化が面白かった作品ってめちゃくちゃ少ないよね。だいたい詳細を端折ってテンプレに落とし込む流れになるしね。

 

加納朋子ななつのこ

 電書版は2013年発行ですが、1992、と奥付にあるので1992年の本なのかな?主人公は短大生なのですが、好きな作家にファンレターを書いたり友達と固定電話で電話料金を気にしながらおしゃべりしたり、デパートの屋上に子供の遊び場があったり、90年代の光景なのかなと感じました。この小説、ずっと電書サイトの“お気に入り”に入れっぱなしになっていて、セールになった時に買ったのですが、いつどうして“お気に入り”に入れたのか全く思い出せません。何のきっかけだったんだろう。内容は日常の謎もののライトミステリです。内容もノスタルジックで読後感もいいし爽やかな話でした。

 

辺見庸『反逆する風景』

 『もの食う人びと』の裏面、“地下茎”として書いたのだそうです。『もの食う人びと』はとても好きで何度も読んだのですがこれはそうでもなかった。作者がジャーナリストとして『もの食う人びと』を書いた自分自身への反発があって、というのはとても伝わるのですが、一方でその裏面にあるものを露出させる必要はないし、露出されたそれらを読んでみると非常に個人的というか極めて散文的であると感じました。あとがきにあるように、作者の精神的な“落とし前”にすぎないんでしょうね。